番外編:桧原樹には秘密がある②

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番外編:桧原樹には秘密がある②

 悠ちゃんの出番は四番目だった。町内運動会は出場者のほとんどが大人なので、ハードルや網潜りに苦労してる人が多かった。     そんな中で悠ちゃんは、リズムよくハードルを超え、網を潜ってるとは思えない速さで網を抜け、一度も落ちることなく平均台を渡りきり、ぐるぐるバッドをしても真っ直ぐに走ってピンポン玉を運んだ。  ……平衡感覚狂わないのかな。 「一位は赤組、一番! 桧原さんです」! 「やったー!」  悠ちゃんが喜んでいる姿を内緒で撮影しておく。  障害物競走のあとは一時間のお昼休憩を挟む。 「悠ちゃん、競技出っ放しで疲れたでしょ」 「うん。ちょっとね。でも久しぶりに動くと楽しくて」  坂宮さん夫婦と四人で用意されていたお弁当を食べる。 「悠は昔から運動神経すごかったんですよ。体育祭でリレー出るの禁止になったくらい」 「そうなの?」 「あー、あったね、そんなこと」 「悠が出ると絶対勝つからって」  高校生の悠ちゃんってどんな感じだったんだろう。俺は社会人になってからのことしか知らないから少し興味ある。 「その運動の才能を少しでもいいから絵にもあればよかったのよね」 「それは言わないで……絵は絶対無理だから」  たしかに悠ちゃんの絵は独特だ。前にキャラ弁を作ってくれたときは、クマの殺害現場を再現したのかと思って本当にびっくりした。  結婚してすぐのころに中学生時代のアルバムを見せてもらったことがあり、その中に美術の授業で描いた絵の写真があったが、悠ちゃんの絵だけ呪われてるみたいだった。ちなみにクマのキャラ弁も授業で描いた絵も、二、三回は夢に出てきた。  四人で話していると、町内運動会役員の西牧さんがキョロキョロと辺りを見回しながらこちらのブルーシートに来た。 「あ、西牧さん、お疲れ様です」 「坂宮さん、桧原さん、お疲れ様!」 「誰か探してるんですか?」 「それがね、綱引きに出てくれる予定だった田中さんが病欠で出られなくなっちゃって。今、代わりの人を探してるのよ」  西牧さんが困ったように頬に手を当てる。綱引きは午後一発目の種目なので、今のうちに出場できる人を探しているらしい。 「できれば男性がいいんだけど」  今日ここに来ている人たちのほとんどが何かの種目に参加している。出ていないのはたぶん俺と家族の応援に来た高齢者くらいだ。 「俺、出ますよ」  綱引きくらいなら出てもいいかと思い、西牧さんき声をかけると、西牧さんが返事をする前に、悠ちゃんがすばやく俺の手を握った。 「いや、西牧さん、私が出ます! 樹くんの手に何かあったら、私……切腹してもし足りないくらいで……」 「切腹したりないって何……」 「大丈夫だよ。綱引きやったことあるし。それに悠ちゃん、たくさん出てるから疲れてるでしょ」 「樹くん……」 「桧原さんが出てくださるなら、とっても助かるわ!」  西牧さんが困ってるのを見かねて、悠ちゃんは俺が綱引きに出ることを承諾した。 「樹くん、無理しないでね」  昼休憩のあと、午後一番の綱引きに出るために、西牧さんからゼッケンとはちまきを借りた。  綱引きなんて高校生の体育祭ぶりだ。本当はどの種目にも出るつもりはなかったけど、綱引きなら多分誤魔化せるだろう。 「よーい、スタート!!」  みんなが綱を引っ張るのに合わせて引っ張る。 「樹くん! 頑張って!!」  たくさんの声援に紛れて悠ちゃんの声が聞こえる。俺が綱引きに出ると言ったときの顔が思い浮かぶ。悠ちゃんは心配性だ。俺が重いものを持とうとしたり、蓋の硬い瓶を開けようとしたりすると、すぐに心配して助けに来てくれる。  でも、実はこう見えても俺は結構力が強い。着痩せするせいか周りからも細いとよく言われるが、瓶の蓋くらい一人で開けられるし、悠ちゃんが毎月注文してる瓦セットも問題なく持てる。  大掃除のときも家具の移動を手伝ってくれたが、本当はシューズボックスもソファも一人で動かせる。  でもそれをしないのはちゃんと理由がある。結婚してすぐのころ、朝起きて半分寝ながらパンに塗るはちみつの瓶を開けようとして、うまくできないことがあった。それを見ていた悠ちゃんが慌てて俺から瓶を取り上げて、力づくで蓋を開けてくれた。 ーーはい、樹くん。開いたよ。  そのときの悠ちゃんの笑顔が忘れられなくて、本当のことを言えないままでいる。もちろん悠ちゃんには怪我をして欲しくないので、蓋はともかく、重いものを運ぶのを手伝ってもらうときは、最善の注意を払っている。 「ピピー! そこまで!」  みんなの動きに合わせてあまり力を入れずに綱を引いていると、審判の笛の音が聞こえた。赤組の勝ちだった。
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