第131話

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第131話

 今年もこの季節がやってきた。  夏といえば、そう! クールビズ! 樹くんがクールビズと称して、とんでもなくハレンチな格好で仕事に行く季節! しかし今年はそれどころではない。クルービズなんて可愛いものだと思えるくらいに。  そう、すべてはとある一本の電話からはじまった。 「悠! あんた大丈夫?」 「大丈夫な、わけ……あるか!」 「大丈夫そうね」 「え? 涼風、今、話聞いてなかった?」  大丈夫なわけないよね? この状況で大丈夫な人がいるわけないよね? 「あんたねえ……自分の旦那さんの水着姿を見るだけでそんな状態になるのに、普段どうやって結婚生活を送ってるわけ?」 「水着なんて普段から見ないし……」  去年の夏は海もプールも行かなかったから、樹くんの水着姿を見るのは今日が初めてだ。いや、まだ見てないけど。この建物の外には上裸の樹くんがいるわけで……! 「耐えられるわけなくない? 主に私の眼球が……」 「サングラスかければ? 日焼け対策に持ってきてたじゃん」 「サングラス程度で塞げる威力なわけないよね?」 「でもそろそろ出ないと。みんな待たせてるし」 「う、うん……そうだね」  涼風に背中を押されて、ようやく勇気を振り絞って部屋を出ることしにした。 ーー海岸沿いに別荘を買ったから、夏になったら遊びに行ってきてほしい。  一ヶ月前、夏樹さんから私のスマホに電話がかかってきた。 「海岸沿いに別荘ですか?」 「うん、それで、今年の夏に遊びに行って来てほしいんだけど」  夏樹さんのこの言葉を聞いて、私はすべてを一瞬で察した。 「……つまり、樹くんの水着姿の写真が入り用ということですね?」 「あははっ! さすが悠ちゃん、よくわかってるね。最近仕事のストレスがひどくてね」  いやいや、正解してしまった私が言うのもどうかと思うが、樹くんの水着姿の写真を撮るためにわざわざ別荘を買うって、どういう神経してるんだろう、この人。  そもそも癒しのために見るなら、実家のアルバムを見たほうが手っ取り早いのではないか。海に入るなら七月くらいがいいだろうが、まだあと一ヶ月もあるし。 「今年の樹の水着姿は今年しか見れないからね」  心を読まれたのかと思ってゾッとした。 「わかりました。樹くんには何て言えばいいですか?」     人混みが苦手な樹くんが、海に行きたいと言うだろうか。 「ああ、樹にも俺から言っておくよ。海岸沿いの別荘だからほぼプライベートビーチみたいなものだし、樹もオッケー出すと思うよ」  抜かりないな、この兄。 「じゃあ、今晩樹くんが帰ったら、日程とか話し合いますね」 「うん、よろしく。あ、あと六人まで宿泊できるから、友達誘ってもいいよ」  ……というわけで、涼風夫婦と西牧さん夫婦を呼んで六人で夏樹さんが買った別荘に遊びに来た。  ちなみに西牧さんの息子さんの恵太くんは、毎年恒例の田舎のおばあちゃん家に泊まりに行っているらしい。  問題なのは夏樹さんに写真撮影という任務を与えられているものの、そもそも私が樹くんの水着姿を見たことがないということだ。つまり撮影以前に私がまずその神々しい姿を見慣れる必要がある。 「ほら、行くよ」  水着の上からパーカーを羽織り、念の為サングラスを持って涼風と二人で部屋を出る。西牧さん夫婦と樹くん、そして涼風の旦那さんはすでにビーチに出ているだろう。  部屋を出て一階のロビーを通り、一歩外に出ればそこには海が広がっている。そこに樹くんがいる。  ……よし、行こう。  部屋を出て階段を降りロビーにたどり着いた瞬間、あまりの衝撃に持っていたサングラスを床に落とし、そのまま動けなくなった。突然立ち止まった私を涼風が冷たい目で見てくるが、気にしている場合ではない。  なぜなら、ロビーには水着姿の樹くんがいたからだ。  肩にUVカットのパーカーを羽織り、その非常に長い脚を組んで革張りのソファに座り、肘掛けに左肘をついて頬杖をつき、右手でスマホをいじっている。  こんなにも麗しい人類がほかにいるだろうか。 「え、……国王?」 「黒糖? サトウキビの話してんの?」  ソファに座っている樹くんを心の中で拝んでいると、私たちに気づいた樹くんが顔を上げ、あろうことか立ち上がってこちらに向かって歩いて来た。  え、何で来るの? 無理無理無理無理無理! まだそんな至近距離で見る心の準備が出来てないって! 「す、すずか……ど、どどどどうしよう」 「いや、どうするも何もさっさと見慣れなさいよ。夫婦でしょ」  無理だって! 樹くんの水着の破壊力たるや、私の想像をはるかに超えている。気軽に夏樹さんの頼みを承諾するんじゃなかった。  何がやばいって、樹くんはジムに通うようになってから全体的に筋肉がついたのだ。それなのに顔は相変わらず童顔で、そのギャップに鼻血やら何やらが出そうである。 「悠ちゃん、海、行かないの?」  こちらを見下ろすその視線に脳みそのすべてを焼かれた気がした。 「イ、キマ……ス……ヨ」  今日一日、もしかしたら私はカタコトでしか会話できないかもしれない。  それくらい樹くんの水着姿はとんでもない破壊力を持っていた。
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