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第16話
八月一日、午前。
「夏祭り、ですか?」
「そうそう。隣町の神社で開催するのよ。屋台も出るし、夜には花火が打ち上がるの」
今日も毎月恒例の瓦割りをしたのち、樹くんを仕事に送り出した。そのついでにコンビニに行った帰り、隣の家の西牧さんに声をかけられた。
西牧さんは幼い頃からこの街に住んでおり、幼馴染みの男性と結婚して、この街に家を建てたいわゆる地元民である。歳はおそらく三十代くらいだろう。
「開催日は今週の土、日よ。私たち夫婦も屋台を出すから、よかったら顔出してね」
夏祭りか。行きたい。めちゃくちゃ行きたい。死ぬほど行きたい。
「夏祭り……樹くんと二人でピンクのふわふわな綿菓子を食べたり、甘い水飴を食べたりしたいし……くじ引きでハズレを引いて笑ったり、金魚すくいで出目金とランチュウを一匹ずつすくいたい。でもうまくすくえなくて樹くんに手伝ってもらいたい……二人でたこ焼きを半分こしたり、あ、待てよ。その前に水ヨーヨー釣りもしなくちゃね。片手で水色のヨーヨーを軽くバンバンつきながら、もう片方の手で手を繋いだりとか……!」
「ひ、桧原……さん?」
「いや、でも樹くんならわなげとか射的もうまそうね。射的する姿とか絶対美しいじゃん? カメラ持って行ったほうがいいかな。あったよね、たしか一眼レフ」
「ひ、桧原さんがそんなに楽しみにしてくれるなら嬉しいわ……」
おっと、いけない。心の声がだだ漏れだ。西牧さんがすごい顔してるよ。
これ以上喋ると今後のご近所付き合いに影響が出そうなので、西牧さんから夏祭りのチラシを貰ってさっさと家に入った。チラシを見るたびに妄想が膨らむ。
しかし、問題は樹くんは人混みが苦手ということだ。わなげ、射的以前に一緒に行ってくれるかどうかさえ怪しい。 もしかしたら涼風と行くように勧められるかもしれないな。ってかその可能性の方が高いよね。
その日の夜。
「いいよ。土曜なら」
「い、いいの? 本当に?」
夕食を終えたあと樹くんが祭りのチラシを見ていたので、それとなく行きたいと伝えると、思いのほかあっさりと承諾してくれた。
「俺も浴衣持ってるし。物置のクローゼットにあると思う」
浴衣、だと? 今、浴衣って言った? お祭りに行けるうえに樹くんの浴衣姿が見られるの!? そんな素晴らしいイベントが無料で発生してもいいの!?
「じゃ、じゃあ二階の物置部屋から、浴衣引っ張り出してくるね!」
光より速いと書いて光速で二階まで駆け上がり、私と樹くんの浴衣を用意した。念のため実家から持ってきて、いつか着る機会があると信じてクローゼットにしまっておいてよかった。
おまけに樹くんも浴衣を持って来てくれていたなんて。一緒に浴衣を着てお祭りに行ける。何という神イベントだ。
「……よっし……よっしゃあああ!!!」
一人でクローゼットから出した浴衣を見て涙が出そうになる。好きな人と祭りに行くというのは実は昔からの夢だった。いや、夢というとさすがに大げさか。
中学生のときに当時付き合っていた彼氏と地元のお祭りに行ったことはある。ただそのときの彼氏がちょっとやんちゃなタイプで、私を放ったらかしにして男友達と騒ぎまくっていた。
それ以来、お祭りデートというものはしていないし、浴衣デートに関しては一度もしたことがない。
高校生や大学生になると地元のお祭りに行く気になれず、かといって大きなお祭りになると、尋常じゃない人ごみが嫌だとかバイトがあるとかで行く機会がなかった。
本当は行ってみたかったし、欲を言えば浴衣デートがしたかった。その初めてのお祭りデートを樹くんと出来るなんてこんなに素晴らしいことはない。
むしろこれまでお祭りデートをしなくて良かったくらいだ。今から楽しみすぎて当日まで睡眠不足になりそうだ。
「悠ちゃん、お風呂沸いたよ」
一階から樹くんに呼ばれ、私は再び光の五倍速いと書いて光速で階段を降りて行った。
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