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第17話
夏祭り当日。自宅で浴衣に着替えて、久しぶりに洗面所で丁寧に化粧をする。まるで初デートの時みたいな気持ちだった。
最後に口紅を塗って、これで完成。久しぶりに化粧すると、そういえば働いていたときは毎日こんな顔だったなあと思う。
専業主婦になってからというもの、化粧はほとんどしなくなった。というか、する必要がない。
近くのスーパーやクリーニング店に行くだけのために化粧をする気にはなれない。毎日毎日朝から化粧をしてヘアセットをしていた頃が懐かしい。
しかしこういう特別なときに化粧をするというのも悪くない。何というか特別感が増す気がするのだ。
「悠ちゃん、準備できた?」
名前を呼ばれて心臓が跳ねる。たぶん本当に跳ねた。
二階から樹くんが階段を降りてくる足音が聞こえる。ちょうど準備を終えたところではあるが、まだ心の準備ができていない。何しろ樹くんは二階で浴衣に着えていたのだ。直視する勇気がない。
しかしそんなことはお構いなしに、樹くんは洗面所までやって来た。念のためもう一度洗面所の鏡で顔をやらヘアセットやらを確認する。
「悠ちゃん?」
「は、はい!」
うつむいたまま洗面所を出る。もちろん浴衣を着ている自分の姿を見られるのが恥ずかしいというのもあるが、それ以上に樹くんを見る準備がまだできていない。
「顔上げて」
言われるがまま顔をあげるが、思わず目を瞑ってしまった。しかし樹くんの強い視線を感じ、ゆっくりと目を開けていく。
目を開けて真っ先に飛び込んできたのは、樹くんの顔のドアップで、それだけでも失神寸前だったのに、一歩、二歩下がると浴衣姿がばっちり視界に入り、心臓が口から飛び出てるかと思った。
「か……か……か……っ……神か!?」
「髪?」
ダメだ。思った以上にインパクトが強い。ただでさえスタイルが良いのに、浴衣を着ることでより際立っている。過度に露出しているわけでもないし髪型もいつも通りなのに、普段とは違う色気が漂っている。
このままお祭りに行って私の心臓が持つかどうか。考えただけでも何か目眩がしてきた。
「そろそろ行こ?」
私は黙って首を縦に振ることしかできなかった。
祭りが行われる神社には電車で行くことにしていた。行きも帰りも混雑が予想されるうえ、駐車場が満車だと困るので、電車で行こうという話でまとまった。
二人でいるときの移動手段は基本的に車のため、樹くんと電車に乗るのは初めてだった。
一緒に駅まで歩き電車に乗ると、ちらほらと浴衣を着たカップルが座席に座っていた。みんなお祭りに行くのだろう。私たちも空いた席に座る。何だか緊張してきた。無駄にそわそわしてしまい、電車の広告に目を向ける。
よく考えたら樹くんと、こういうデートをするのは初めてかもしれない。学生カップルがやりそうなデート。そう思い始めるとどんどん緊張が増していく。
いやいや、落ち着け。私たちは夫婦だ。手を繋いだこともないカップルじゃあるまいし、そんなに緊張することじゃない。
周りのカップルたちだって楽しそうに話したり、イチャイチャしているじゃない。私だって普段通りしないと。
そうは言っても目的の駅までは十分だけだし、樹くんは基本的にお喋りじゃないから、このまま静かにしておいたほうがいいだろう。
何より周囲の視線がすごい。はじめは気のせいかと思っていたが、あきらかにこちらを何度も見ている人が数人いる。
電車が駅に止まりに、乗ってくる人たちの中にもこちらを二度見する人は多い。こうも注目されるとさすがに喋りづらい。もちろん原因はわかっている。
「悠ちゃんは何食べたいの?」
「へ?」
静かにしておこうとした矢先、隣の超ド級イケメンが喋りかけてきたので、思わず変な声が出てしまった。ほとんどの客がイヤホンをするか、小さな声で話している中、その間抜けな声は車内によく響いた。
ただでさえ周囲の視線を感じるのに、さらに視線を集めてしまった。恥ずかしい。
「え……あ、そうね。うーんと、綿菓子とかたません。あ、でもたこ焼きもいいな」
ついでに水飴と唐揚げも食べたいが、あんまり言うと食い意地を張ってるみたいなのでやめておいた。
「たません? たませんって何?」
「たまごせんべいのことだよ。えびせんの上にソースと天かすと目玉焼きが乗ってるやつ」
「ふうん」
私の中ではお祭りといえばたませんなのだが、樹くんは食べたことがないのか。というか、お祭り自体あんまり行かないのだろう。人ごみ苦手だし。
ということは、もしかしてもしかすると、樹くんも浴衣デート初めてだったりして。 そう思うと無性に嬉しくなったが、よく考えば浴衣を持っている時点で初めてではないということに気がついた。
私みたいに行く予定もないのに、ただ夏だからいつか着るだろうという適当な考えで買ったとは思えないしちょっとだけ悲しくなった。
三分遅れで電車は目的の駅に到着した。予想通りほとんどのカップルや家族連れがその駅で降りていく。私と樹くんも一緒にその駅で降りた。
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