第2話

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第2話

デパートに来た目的の一番は掃除機であり、その目的は達成された。とはいえそれは私の目的であり、樹くんの目的は別にある。 それは……。 「ちょっと試着してくるね」 「わかった。ここで待ってるね」 樹くんの目的は新しいスーツである。それこそ土日以外はほとんど毎日着るものなので、定期的に新しいものを買っているらしい。もちろんスーツもオープンセール価格なので、買うなら今しかないということで紳士服売り場にやって来た。 二種類のスーツを持って樹くんは試着室へと姿を消した。私はその間、試着室の横にある小さなソファに座って待つ。ちなみに掃除機は車の中に積んできた。 シャーッという試着室のカーテンが開く音が聞こえ、同時に黒いスーツを着た樹くんが現れた。 その瞬間、鼻血が出るかと思った。 「脚、なっがっ!」 思わず声が出た。スーツの丈を確認しに着た店員さんに変な目で見られてしまったが、さして気にすることではない。 樹くんは童顔なわりに背が高い。というか、脚が長い。それはスーツを着ることでより強調される。とにかく脚が長いんだ。 私は常々、樹くんのスタイルは二次元だと思っている。いや、樹くんは立体だけども。 おまけにその長い足から始まって胴体へと行き、そのてっぺんについている顔がとんでもなく整っているからやっかいである。 「丈直し必要ないかも」 樹くんは試着室の横にある全身鏡を見ながら、裾や袖を確認している。 「そのようですね。サイズはこちらで問題ないと思います」 「どう? 悠ちゃん」 さっきまで鏡を見ていたくせに、いきなりこっちを向いて首を傾げてくるから、抑えていた鼻血が本当に出てくるところだった。 私がハンカチで鼻を抑えながら、もう片方の手でオッケーのサインをすると、樹くんはさっさと試着室に戻った。 これ以上見ていたら心臓に悪い。戻ってくれて助かった。そう思っていると、すぐにまだ試着室のカーテンが開いた。 「こっちの色もいいかな」 試着室から出て来たのはさっきとは少しデザインが違うタイプの、グレーのスーツを着た天使……じゃなかった樹くんだった。 「いつも黒だし」 「そ、そうだね。グレーもいいと思うよ」 何でまた違うの着てるのよ! と叫びそうになったが、そういえば試着室に入るときに二着持っていたことを思い出した。 そんなに格好いい姿ばかり見せて、私をどうするつもりなのか。どんどん店員さんに怪しまれるじゃない。 「グレーも素敵ですね。スーツは同じようなデザインが多いので、色を変えるだけでも気分転換になりますよ」 店員さんの話を聞いた樹くんは納得したのか、再び試着室へと戻って行った。私はようやく安心して、心の中で大きく息を吐いた。と、安心したのも束の間、すぐ試着室のカーテンが開いた。 「あ、このスーツに合うネクタイ、買わないと」 樹くんはグレーのスーツをお気に召したようで、そのスーツに合うネクタイを探し始めた。それもスーツを着たまま。 「ちょ! 樹くん! 目の保養すぎて心臓に悪いって!」 私が一人で壁に向かって話していると、別の店員さんがやって来た。 「グレーのスーツでしたら、ワインレッドのネクタイですとメリハリがつきますし、あえて同系色の淡いグレーのネクタイを選ばれる方もいらっしゃいますよ」 店員さんはワインレッドと薄いグレーと、定番のネイビーやストライプのネクタイを持っており、樹くんは一つ一つ手に取って鏡の前で合わせていた。 私はチラチラと横目にその様子を見ながら、ワインレッドがいいんじゃないかとアドバイスしてみた。 「派手すぎない?」 樹くんは試しにワインレッドのネクタイを締めてこちらに体を向けた。頼むからこちらを見ないでください。お願いします。 「……ひ、一つくらいあってもいいと思うよ」 いつもネイビーとかグレーのネクタイだしと付け加えると、納得したのか、あろうことかそのままネクタイを外しにかかった。 これは本当にまずい。男性がネクタイを外し仕草とは何とも言えない色気がある。それを樹くんがやれば破壊力は百万倍だ。 私はできるだけ樹くんを視界に入れないようにして話をした。 「それじゃあ、これにします」 樹くんはネクタイを店員さんに預けて、試着室に戻って行った。 ……良かった。何とか試着室に戻ってくれたようで命拾いした。このままほかのネクタイも見てみたいとか言って店内を歩き回られたらどうしようかと思った。 「スーツ上下セットとシャツとネクタイで合計二万三千五百円です」 「この商品券使えますか?」 「はい。では残り三千五百円です」 樹くんがレジで精算をしている間、私は少し離れたところで店内を適当に見ながら待っていた。鼻血は何とか止まった。
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