第8話

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第8話

私の朝の日課は、樹くんの寝顔を見ることだ。 朝、六時ちょうど。目覚ましが鳴ることもなく、私は静かに目を覚ました。樹くんが目を覚ますのは、一時間後の午前七時。それまでの間に私は洗面所で顔を洗ったり、朝ごはんの準備をしたりする。 しかし、その前に一つやることがある。それは樹くんの寝顔を見ることだ。 残念ながらダブルベッドではないため、少しばかり距離があるが、そんなことはたいした問題ではない。いや、本当はダブルベッドが良かったんだけど、樹くんが繁忙期は帰りが遅くなることがあるから、迷惑をかけるかもしれないと言ってシングルベッドを選んだ。 私としては樹くんが十一時に帰って来ようが、夜中の三時に帰って来ようが起きている自信はある。それに関しては何の問題もない。 ただもしも私の寝相が悪くて樹くんを蹴ったり、布団を独り占めするようなことがあっていけないため、私もシングルベッドに賛成した。そんなわけで、寝室は同じだがベッドは別々である。 今日は目を覚ましたときに、運良く樹くんが顔をこちらに向けていた。日によってはこちらに背を向けていたり、仰向けになっていることもあるが、そういう時はそのままずっと背中や横顔を眺めている。 それにしても本当に整った顔をしている。何分でも何時間でも見ていられる、可愛い寝顔だ。起きているときも可愛いけれど、寝ているときも無防備な感じがして可愛い。というかもはや輝いて見える。  何があったらこんな顔に生まれてくるのだろう。前世でずっとボランティアでもしていたのだろうか。  正直なことを言うと、もともと私は可愛い系の顔の男が苦手だった。 何しろ私の顔は周りから見ると「キツめ」だそうで、そう言われるようになってから、可愛い系の男の人と並ぶのが嫌になった。  並ぶとより自分の顔のキツさが目立つだけだし、一緒にいても「可愛い」と言われるのはその男のほうで私ではない。要するに自ら進んで自分のコンプレックスを強調させる羽目になるのだ。 周りからも悠はザ・漢みたいな人が似合うと良く言われていた。筋肉質で体格の良い男の中の漢みたいな。だから樹くんと出会うまでに付き合った人はたしかにそういう人が多い。 それが今ではこんな可愛い顔の旦那様がいるわけだから、人生何が起こるかわかったものじゃない。 樹くんの顔を見る時間は約十五分間。本当は何時間でも見ていられるが、さすがにやることもあるし、万が一起きられるとまずいので、十五分と時間を決めている。 あと、五分。あと五分したら布団から出ないと。そう思いながらも樹くんの寝顔を眺めていると、突然目が合った。 驚きのあまり寝たふりをするのも忘れてしまい、私は突然目を覚ました樹くんと目が合ってしまった。 寝起きなのにとんでもなく顔が綺麗だった。 「あれ? 今何時?」 普段彼が起きる時は私は寝室にいないので、向こうも私と目が合ったことに驚いているようだった。 「今、六時十分よ」 出来る限り平静を装い返事をするが、内心かなりビクビクしていた。まさかこんな時間に起きるとは思わなかった。 たまたま目が覚めただけなのだろうが、よりによって寝顔を観察しているときだなんて、なんてタイミングの悪いこと。 もちろん樹くんは、私に毎朝十五分も寝顔を見られていることは知らない。これは私の密かな楽しみであり、その日を頑張るための充電のようなものなのだ。 たまたま寝起きざまに目が合っただけで、実は毎朝自分の嫁がこんなことをしているとは思いもしないだろうが、やっている側としては何となく気まずい。 二度寝しないかなあ、などと思っていると、私の願いをきいてくれたのか、樹くんは何事もなかったかのように二度寝をはじめた。 何か聞かれたらどうしようかと思ったが、とにかく一安心だ。今日はもう観察するのはやめよう。心臓に悪い。 あとこれからは観察時間を十五分から十分に短縮するべきかもしれない。悲しいが仕方ない。毎朝寝顔を観察していることがバレたら、リビングで寝るとか言い出すかもしれないし。 見足りないときは、スマホのデータフォルダに頼るか。 とにかくできるだけ音を立てないようにベッドから降りて、ひそひそと寝室を出て洗面所に向かった。
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