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気付いてしまった日
歯軋りをした頃から少し時間が経ったが、結局悠真と山川さんは付き合わず、山川さんは他の男と付き合うことになった。
ちょうどその頃から、山川さんの耳を塞ぎたくなるような噂を聞いてしまった。
性にルーズで、どんな男とも遊び、夜の相手すらするような子だと…。
あんな清楚な子が、そんなに汚れているなど…信じたくなかった。
しかし、校内の食堂で大声でベラベラ騒ぐ猿達の昼間っから展開される下品な話は、いくら聞こうとしなくても耳に入ってきてしまっていた。
その対象が、1人なんだったらまだ察することは出来たし、そう言う関係なのだろうと割り切れた。
だが違った。
山川さんとのソレを経験したのは、多数いた。
不純にも愛されることを覚え、その味をしめ、性欲と夜に溺れた女だった。
だと言うのに。
それだと言うのに、俺は山川さんを嫌いになろうとも思えなかった。
むしろ、いつかその時が来た時、自分のものになったらという、最低な期待すらしてしまっていた。
病む悠真から、その山川さんの男のSNSを見せられた。
気持ち悪いほど惚気る投稿。
確実に悠真のことと分かるような挑発的な投稿。
20半ばの男が、そんなことをしているのが気持ち悪くて仕方なかった。
「中学生で頭の発達止まってそう」
「ちんポコの皮めくれてねぇんじゃねぇの」
「数多くの肉棒で遊んできた絢音がそんなオトコで満足出来るか?」
「ひっでぇ言いよう」
「そのくらい卑下しないと振り切れない」
「付き合うと思ってたけど、こんな結果になるなんてなぁ」
だが、彼女の人当たりの良さは、卑下する彼らの前でも強かった。
ましてや、特別彼女のことをひどく嫌えたわけではなかったから、山川さんに彼氏が出来ても、みんなで仲良く話すその日々は変わらなかった。
彼女の周りには、数多くの男が笑顔と形だけの優しさを振りまいている…。
半ば宗教みたいなものだった。
悠真は、部活帰り、たまに吐き捨てるように言う。
「とんでもねぇ宗教にハマっちまったみたいだよ」
たしかに、俺が山川さんに感じているそれも、半ば宗教的な愛かもしれない。
今この現状を、山川さん自身が俺に与えたカルマなのではないかとさえ思ってしまった。
1人の女に固執する、なんとも宗教的で狂気的で動物的な愛。
狂ってることを理解しながらも、俺は今日も胸をざわつかせていた。
…あれは、まだ幼稚園の頃だったかな。
幼稚園生の頃、朝家を出ると同時に、もうお母さんと会えないかも、と、何故か途端感じてしまって泣き喚いたことがある。
その予感は不幸にも当たり、母はその日俺が幼稚園にいる間に交通事故に巻き込まれて死んだ。
それ以降だ。
俺は常軌を逸する程の予感の的中率を得た。
中学に入ってからは、テストで出される問題を予感で当てることが出来た。
実際勉強はできる方ではなかったから、ほぼ毎回点数の稼ぎはこの予感を使ってだった。
他にも、日常の細かい予感がとにかく当たる。
信号が赤になる瞬間。すれ違い様に犬が吠える。ちょうど行ったコンビニで欲しいものが売り切れている。
どうでも良いことすら、ふと思い立つと、現実もそのようになっていた。
俺が今のところ外した予感といえば、悠真が山川さんと付き合わなかったことくらいだが、それもまだ本当に外したのかは分からない。
そんな俺が、今こうして胸をざわつかせるそれは、まさにその予感が理由だった。
どうしてか、山川さんが彼氏にひどい目に遭わされると言う、予感がしてしまったのだ。
何かがあるかもしれない。
というより…その可能性がかなり高い…。
何か起こったとき…何も出来ないのは嫌だ。
でもどうだ、俺は悠真の如く…己まで犠牲にできるか…?
とにかく、悠真と話したかった。
この予感が現実になる前に、俺のこの予感を知って欲しかった。
「山川さんが、藤井さんとおんなじ目に合ったら?」
スポーツドリンクを飲みながら、俺は部活の休憩中、何気なく聞いた。
「…」
悠真は黙った。
彼がどうするか分かっていた。
「ま、何もないのが一番だよ。それに尽きる」
悠真は黙って頷き、俺に次いで開けたスポーツドリンクに口をつけた。
「…反感買った男は多いと思うんだ。それがトチ狂って何かしでかしそうでさ…」
「…あり得るんじゃない?そのときお前がいるのかは知らないけどさ」
「…まぁ…絢音がその時俺の名前を呼ぶなら、助けるさ」
悠真は、強い。
一度死の手前を己の目で見て、吹っ切れるところまで吹っ切れている。
彼は、俺と違って、人のために死ねる男だ。
何にも屈しない強い男だ…。
もし仮にそうなってしまって、悠真が山川さんを助けるようなことになった時、きっと山川さんは悠真を良く思うだろう。
悠真が何を考えているかは放っておいて、その時は自分を犠牲に戦うのが男なのだろうとは思う。
だが…やはり俺は、その時怯まない自信がなかった。
それでもし、そんなことがあったら本当に情けないが、山川さんを守れなかったら…。
山川さんが悠真と結ばれることよりも、山川さんが傷つく事の方が悔しい。
きっとその場に居合わせたら居た堪れなくなる。
そんなことになるかもしれないくらいなら…俺は悠真に、戦ってもらいたかった。
死を恐れることがない彼のそれは…何が相手でも必ず勝てると、そんな予感がした。
悠真の住むアパートから徒歩10分の所にある俺のアパート。
2人とも一人暮らしにはとうに慣れていたが、1人でいるのがつまらないのは変わらなかった。家も近い上に学部が一緒だから、課題なりテスト対策なりをどちらかの家で泊まり込んでやることは多かった。
部活終わり、悠真は家に寄っていいか尋ねてきた。
断る理由もなく、せっかくだから飲もうかと、コンビニで酒を買って部屋に入った。
ユニットバスの六畳一間。
サボってコンビニで買った昨晩の弁当の、まだ洗っていない容器。
室内干しで堂々と引っ掛けてある下着。
ベッド横に置かれたゴミ箱にたまった、ちょっと臭いティッシュの山。
ベットに直接置かれたティッシュ箱。
一瞬だけ仲の良かった女が部屋に来た時に急いで買ったコンドームはベッドの隙間に落ちたままだ。
教科書とノートが雑に重ねてあるのに紛れている、どこか山川さんに似ていて思わず表紙買いしたエロ本は、まだ誰にも見つかっていない。
お洒落さは全くない部屋だが、ここに来ると悠真は決まって居心地が良いと言う。
少し顔が赤くなった悠真が、口を開いた。
「絢音が別れそうなんだって」
「ふぅん。どこ情報?」
「本人がわざわざ相談してきた」
「なんて言ったの?」
「別れるかもしれないって言われたから、それで悔いないならそうすれば良いんじゃないの?って」
「…別れたらどうするの?」
「特段、また狙ったりはしないかな…」
そうは言っても、悠真は眼をそらしていた。
だがこの時、ほんの少しだけでも心が躍ってしまった自分を嫌いになった。
やはり、そうは言ってもいつまでも悠真に負け続ける自分から変わりたくはあった。
山川さんの最近の状況を見ていても、すぐにでも別れそうな雰囲気はあった。
悠真が口を開いたその日から1週間が経たずに、やはり山川さんはその男と別れたらしい。
俺は、決死の覚悟で、誰にも言わず、山川さんに声をかけた。
「別れたって聞いたけど…」
「うん。振っちゃったよ。色々痛かったし、なんか一緒にいるの疲れちゃってさ」
「まぁ…その…お疲れ様」
「なんか遊ぶのもしっかり羽伸ばせない感じでさ。のわりには一緒にいても冷たいし。彼氏の関係ない普段までつまらなくなっちゃったの」
「じゃあ…今度、どっか行こうよ。その、もし良かったら。羽伸ばせたらなって」
「うん、良いけど…どうしたの急に」
女性が苦手ということは特にはないが、どうも山川さんと話していると緊張してしまう。
遊びに誘うなんてもってのほかだ。
「どうしてなのかな」
「あー、なるほどね?」
山川さんはどうも察しが良い。
何かに気付かれた気がしたが、気にしないようにした。
初めて2人きりで遊ぶことになった。
なぜか、悠真に黙ってこれをしているこれを、とんでもなく悪いことをしているように思ってしまった。
大丈夫。
悠真はもう山川さんに恋焦がれてはない。
だから大丈夫だ。
…多分。
2人で行ったショッピングモールで、山川さんは本当に楽しそうに服を選んでいた。
「レトロガール大好きなんだよね。見て良い?」
「もちろん」
愛おしかった。
服を何着か買って少しスキップ気味に歩く彼女を、途端抱きしめたくなってしまった。
悠真はこんな景色を何回も見てきたのか…。
この長い付き合いで、今日の彼女の様子を見たからわかる。
悠真はきっと、まだ彼女を愛おしく思っているはずだ。
あの時眼をそらしたのは、そういうことだろう。
この子を…守りたいと思っているはずだ。
…当たりすぎる予感は罪だ。
俺は、目の前で刃物を持つ男に少し怯みながらも、自分の余計な予感を恨んでいた。
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