俺の「その日」

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俺の「その日」

忘れられない人がいる。 どんなに他の女と仲良くなっても。 …仮に、それがかつての想い人だとしても。 藤井さんが俺のことを気に入ってくれてるのはよく分かる。 悪い気は決してしなかった。 でも、どうだろう。 いつまでも、頭の中に残り続ける、山川絢音。 ずっと好きだった女にアプローチされても、頭から離れることはなかった。 女物の服のブランドに、詳しくなんてなるんじゃなかったよ。 藤井さんと行ったショッピングモール。 2階のフロアに固まってあった似た系統のブランド。 レトロガール、ヘザー、イング、ナイスクラップ…。 あの店の前を通るだけで。 あの店の服を見るだけで。 あの店の紙袋を見るだけで。 思い出して、辛くなってしまうんだ。 俺はどうして、彼女と出逢ってしまったんだろう…。 俺が車を買ったのと同じくらいのタイミングで、大学の部活の同期の啓介も車を買った。 俺と同じような、走るのが楽しいスポーツカーだった。 「悠真の真似事か?」 「多分お前と一緒だよ。独り身のうちに遊んでおこうってな」 「ま、そんなもんだよな」 「走ろうぜ。もう一本」 同じ趣味を持ち、啓介と会う機会も増えた。 そんな生活をしばらく続けていると…俺の住むアパートに一通の葉書が届いた。 差出人には2名の名前。 日時、場所。 「そっか…とうとうか」 俺はまた、一段とやさぐれたかもしれない。 しばらく遊んでいた藤井さんにも、少し冷たい態度を取っていたかもしれない。 ドライブの最中、藤井さんは俺に尋ねた。 「ねぇ、何か悩んでる?私で良いならなんでも聞くよ」 うるせぇよ。 お前に話して何が変わる? どう楽になる? 「なんもないよ」 ただ、ぶっきらぼうにそう言った。 しかし、彼女は食い下がってきた。 「そんなはずないでしょ。何かあったの?あんまり溜め込むとよく…」 「うるせぇなテメェには関係ねぇんだよ!!!」 とうとう大声を上げてしまった。 藤井さんは涙をこぼし、ハッとした。 …たく。 馬鹿だよ俺は。 「…あ…ごめん…カッとなって…」 「ううん…大丈夫…お願い、話してよ…」 こうやってもうかれこれ3年近く藤井さんとは遊んではいるが、今までお互いに恋愛まがいなことは言い合わなかった。 これを言うのは藤井さんに現実を突きつけてしまうような気がして避けていたが…もうこの際…。 …俺さ、大学で本気で惚れちゃった女の子がいてさ。 まぁ、結ばれなかったんだけど。 その子は、悠真と付き合うことになって。 本気で。 それがさ…結婚するみたいでさ。 悠真が幸せになったのは嬉しいけど…俺やっぱクズなのかな。 人のフィアンセなのにさ。 忘れられないんだよ。 彼女のこと。 どうしても、忘れられなくて。 卒業してしばらく経つけど…それでもだめだった。 頭の中で、彼女が悠真とゴールしてほしいとは、本気で思ってたんだ。 それなのにさ…忘れられないのは変わらなくて…。 そんな自分が情けなさ過ぎて…でもどうしていいかわからなくて…。 藤井さんと仲良くなって…それで忘れられるものかとも思った。 …でもダメなんだ…。 藤井さんは、さらに涙を流していた。 「ごめん…こんなの言ってもしょうがないよな…」 「…なんでもなくないじゃん。全くしょうがなくない。大丈夫だよ。どんなことでもいい。私はあなたのそばにいるよ。あなたが何か思うのなら、聞いてあげることしかできないけど…そのつらさを分かち合いたい。あなたがもしそれで少しでも楽になるのなら…」 俺も泣きそうだった。 話してみたら変わることだった。 少しでも…楽になれたかもしれない。 「ごめんな…。まぁそれでさ、その結婚式に行くかどうかで、本気で悩んでてな」 「…そればかりは、あなた自身が決めることなのかも…難しいかもしれないけど」 …おっしゃる通り。 仮にも、本気で惚れた人。 今でも、自分にとって大切な人。 その人の…人生一番の晴れ舞台。 仮に親友の花嫁姿だとしても…惚れた男である以上、その姿を見届けたかった。 それは素直に思えることだった。 そうしてあげたいと思った。 …でもどうだろう。 俺は…その姿を見て。 人生で一番惚れた、かけがえのない彼女の、”親友の花嫁姿”を見て、俺は果たしてその時耐えられるのか…? 生憎、何を考えているかすぐにばれる単純で簡単な男なんだ、俺は。 花嫁の絢音が、俺の顔を見た時。 まぁ意識にあるかすら分からないんだけども、少なくとも惚れていたことがばれていて、その俺の、確実に引きつってしまうであろう顔を見て、彼女は何を思うだろう。 俺に招待を送ったことを後悔するのではないだろうか。 彼女の根本は典型的な良い子だ。 感じる必要はないのに、俺のその表情を見て、せっかくの晴れ舞台に、少しでも申し訳ない気持ちをさせてしまったらどうしよう。 想い人とは言えど…親友の花嫁と言えど、”かつての仲間”でしかないのだ。俺は。 その可能性があるのに…のこのこ結婚式に行くなんて出来ない…。 絢音には、俺が決して関与することの無い、その環境で、幸せを感じながら、永遠の愛の誓いをしていて欲しい。 ほんの少しでも、邪魔になるかもしれない、いや、絢音は良い子だからそんな風には思わないかもしれないが、それでも俺が邪魔になるかもと思いついてしまった以上、とても結婚式に出向くなんて…。 俺は、また週末、啓介と車で山に走りに来ていた。 頂上の駐車場で、啓介は話しにくそうに、慎重に口を開いた。 「…お前のところにも来たか?招待状」 「あぁ…そういえば来てたな、そんなの」 「…行くのか?結婚式」 「…どうだろうな」 「絢音、来てほしがってるんじゃないの?」 「俺はそうは思わない」 「…行かなかったとして、後悔しないのか?」 「きっとすると思うよ」 「じゃあ行けよ。俺も行く予定だし」 「…本当に行くのが彼女を喜ばすとは思えないんだ」 「ただ単に花嫁姿見るのがつらいだけじゃねぇの?」 「そうかもな」 「それはエゴじゃねぇのか?」 「エゴでもいい。でもな、俺は大切な人の晴れ舞台を見届けたいっていうそれも、惚れた男だとしたらエゴでかつ綺麗ごとでしかないと思うんだよ」 「綺麗ごとを取るのか、周りにどう思われても関与せずに心の中で祝うのかってことか」 「俺が行くことで、少しでも山川さんの心持ちが良くなくなるのなら、その少しが耐えられないんだ」 「なるほどな。いないことで心持ちが良くなくなるかもしれないってことは考えないのか?」 「…だとしてもだよ。俺がその姿を見るのがつらいってことだ。彼女は察しがいいだろ。それが転じてさ、俺の引きつるかもしれない顔を見るより…その姿がないほうが、きっと何も思わないで済む。大勢が来る結婚式だぞ。俺一人いなかったところで、盛り上がりに差はでない。一番は、俺がいなかったことにすら気づかない、それが理想だよ」 「…お前なりに考えてるのな…すまねぇ。水差したわ」 「いや、啓介が言ってることは真意だろうよ。まだ行かないと決めたわけではない。参加表明締め切りの最後まで悩むさ」 「…お前が決めることだな」 その後、ちょうど陸上部の同窓会があり、住所が分からず手紙を出せなかった面々にも、2人が結婚することが2人から伝えられた。 「最後まで、俺の予感は当たったよ」 「すべて感謝してる」 「…俺が言ったこと、守り続けてるんだな」 「死ぬまで幸せにしてやるつもりさ」 …俺は、本当に最後の最後まで悩んだ。 いよいよ決断しなければという日、俺は藤井さんを車に乗せていつも走る山をドライブしていた。 「…結局、決められた?」 「祝儀もなにもかも、全部出す。でも…多分結婚式には行かないかな」 「そう…」 「行かないからって、俺の大切な人であることには変わらないさ。見届けてやりたいよ。本当は。でも、それを耐えられない自分は容易に想像できるんだ。きっと泣くよ。そしてその後一人で荒れる。悠真も、彼女も、察しがいいんだ。本気で祝ったって、その奥で歯ぎしりしてる自分に気づかれないわけがないんだ。それを感じ取ってほしくないんだよ」 「…あなたがそれを選ぶなら、それがいいんだと思うよ」 「当日までに気が変わって後悔するなんてことも否定できないけどさ、俺も男だ。スパッと決める」 「…上手く行くと良いね、結婚式」 「そうだな。本当に大切に想っている人だから…そうなって欲しい。俺なんかに見届けられなくたって、きっと幸せで、愛誓い合って、何もかも上手く、終始幸せなままであって欲しいよ」 「本当に…好きだったんだね」 「…好き…だな」 「…それだけ愛してくれる人がいるんだから、幸せだね、その人は」 「…そうだな。幸せものだろうよ、彼女は」 「でも、あなたがその人のことを大切に想うのと同じくらい、あなたのことを想う人もいるんだよ」 「……」 「意味、分かる?」 「二つほど意味を捉えた。でも、今は…待ってくれ、かすみ」 この感極まると名前で呼んでしまう俺の癖は何なのだろう。 違和感か、恥ずかしさか分からないが、どうにもむず痒かった。 「全てが無事終わったら…また遊ぼう」 初めて、自分からかすみを遊びに誘ったかもしれない。 かすみはパッと顔を明るめて、元気に返事をした。 社会人になってから3度目の梅雨が明け、茹だるような暑さが訪れた。 結婚式は、もう間際であった。
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