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異世界に留学することが決まりました
5限の終了を告げるチャイムが教室に鳴り響く。
今日は水曜日、県立桜が丘高校の授業はこれで終わり。放課後のホームルームが終われば、皆が部活動に全力を傾けるだろう。
教室の中は授業が終わった開放感にあふれ、ざわついている。無論、私――2年1組の茅根 美乃梨の周囲もだ。
「ようやく授業終わったねー、この後どうする?」
「駅前のカフェ行こうか、新作のスイーツ出たんでしょ」
友人たちが口々にこの後の予定を相談して、私に視線を向けてくる。「美乃梨ちゃんも来るよね?」という言外の意図が隠れてすらいない。
もちろん、行くに決まっている。
私は口元をにぃと持ち上げながら、大きく頭を前後させた。
「行く行く、だってあそこ、スイーツめちゃ美味しいじゃん?」
「美乃梨ちゃん、甘いものに目がないもんねー」
私の笑顔に、隣に立っていた丸眼鏡にお下げ髪の寒河 朱里がくすくすと笑う。笑みを零す朱里を、茶髪ショートボブの野田 未知留がつんつんと肘で突いた。
「とか言って、朱里も甘い物大好きじゃんねー? こないだもルース君と、池袋のカフェ行ったんでしょ?」
「ちょっ、未知留ちゃん、やめてよ恥ずかしいー!」
未知留の言葉に、頬を赤くしながら朱里が手をばたばたと振る。
バーニー・ルースは我が高校の隣にある県立藤宮高校に通う留学生で、金髪碧眼高身長の美青年だ。優しくて勉強も出来る優等生で、うちの学内でも注目の的である。
そんな相手と付き合っているのだから、朱里も隅に置けないが、このカップルが人目を引く理由はもう一つある。
バーニーが、異世界出身のエルフだ、ということである。
曰く、寒冷地に住んでいる部族のお坊ちゃんだそうで、一般社会の勉強のために学校に通っているという話らしい。「日本の夏は首都の夏とは比べ物にならないほど暑い」と、ぼやいていたとか何とか。
この学校に限らず、異世界からの留学生を受け入れている公立高校は多い。逆に地球の高校から異世界の学校に、留学に行く人もいると聞いている。
しかし私は、そのいずれもどこか自分には関係のない、現実味に欠ける話として、話半分に聞いていた。
「ま、私には縁のない話かなー、異世界なんて」
「まあ、毎年交換留学があるとはいっても、せいぜい県内の公立校全部合わせて数人程度らしいしねー」
「でも確か、そろそろじゃない? 今年の留学の時期」
そんな気軽な話をしていると、教室の扉を開けて担任の真柴先生が入ってくる。手にした閻魔帳をぱんぱんと叩いて、私達に着席を促した。
「はーい皆さん席についてー、ホームルーム始めますよー」
先生が入ってきたことによって、一気に慌ただしくなる教室の中。ばたばたと生徒全員が着席すれば、今日の日直である赤松 鈴が声を張った。
「今日の放課後ホームルームを始めます。全員起立」
鈴の声に続いて、椅子を引く音が次々に起こる。そこから、真柴先生に向かって姿勢を正し、一礼だ。
「気を付け、礼。着席」
鈴の号令に、再び椅子を引く音が教室内に響いた。全員が着席したことを確認すると、真柴先生が教室内の全員の顔を見渡して言う。
「はい、赤松さんありがとう。今日の連絡事項ですが……皆さん、国内の公立高校を対象にした、日本が国交を持つ異世界の高等学校との交換留学の対象者が決定しました。
今年は我が桜が丘高校からも一人、留学者がいます」
先生の言葉に、俄かに教室がざわつき始めた。
県内に県立高校や私立高校は数多あり、通う生徒の数も膨大だ。その中から留学の対象者になるのは僅か数人。通う学校から対象者が選ばれるだけでも、凄いことなのだ。
とはいえこの桜が丘高校に通う生徒だけでも、総勢596人。その中から一人だなんて、私には関係ないだろう。
この時までは確かに、そう思っていたのだが。
「茅根さん」
「はい?」
少しぼーっとしていたら、真柴先生が私の名前を呼ぶ声がして。
返事を返すと、先生は私を見つめたまま、笑顔でこう言うのだ。
「起立してください」
「へ、えっ」
何事か理解が出来ないまま、起立させられる私。
クラス中の視線が私に向く中、真柴先生はとんでもないことを発表した。
「はい、このクラスの茅根美乃梨さんが、異世界『ハビシャグ』の聖バーソロミュー高等学校に留学することが決まりました」
「「わぁぁーっ!!」」
驚愕と、歓喜の声が、拍手の音が、教室中に響き渡る。
その歓声と拍手を一身に浴びながら、私は目を白黒させていた。
前の席に座っていた朱里が、満面の笑みでこちらを振り返りながら口を開く。
「すごいじゃん、美乃梨ちゃん!!」
「えっ……私が……」
朱里の言葉を聞いてようやく、私はこれが、自分の身に起こったことだと理解した。
私が。
異世界に。
留学する対象者に選ばれた。
喜びより先に驚きが脳内を支配する。ぽかんと立ち尽くす私に、真柴先生が優しい声をかけた。
「この後、詳しい話をします。職員室に来てください。もう着席していいですよ。はい、皆さんも静かにしてくださいね」
「は、はい……」
呆気に取られた表情のまま、ゆっくり自分の席に腰を下ろす私。
皆を静かにさせるべく先生が声を張るが、なかなかざわざわした空気が収まらない。
「はい、それでは次の連絡事項ですが――」
ようやく教室内が静まったところで、真柴先生が次の連絡事項を話していくが、私の耳には一切入って来なかった。
予想だにしない留学の話。頭の中が混乱と困惑でいっぱいだったのだ。
ホームルームが終わって、私は呆然としながら職員室へ向かっていた。
「すごいね、聖バーソロミュー高等学校でしょ? 『ハビシャグ』の高等学校でも指折りの名門校じゃない」
「え……そうなの?」
「コンシダイン王国の三大学府の一つ、だっけ。新聞で大きく紹介されてるの、見たことあるよ」
私と一緒に歩く朱里と未知留が、口々に「すごい」「すごい」と言いながら、未だに夢の中にいるような私に声をかけてきた。
二人曰く、私が留学する先の「聖バーソロミュー高等学校」という学校は、留学先の国を代表するくらいの名門校で、貴族の子息や裕福な家の子供が通うようなところらしい。
高度な教育と手厚いサポートが有名で、地球の新聞でも紹介されたことがあるほどの有名校だとか。
ますます、私がそこの一員になるということが信じられない。
「なんで、私が、そこに……?」
「さあ、なんでなんだろうね……なんか国の方で判定しているらしい、とは聞いたけど……」
「その辺も先生から教えてもらえるんじゃない? 分かったら教えてよ」
私がぽかんとしながら言うも、朱里も未知留も揃って首を傾げた。
確かに交換留学の対象者は、国内の公立高校に通う全ての生徒の中から決められる。その決める際に何らかの基準があって、それに従って対象者を選出しているらしい、という噂は、私も聞いたことがあった。
しかし、私が選出される理由が、私にはさっぱり分からない。
話をしていると、既に職員室の前についていた。こうなったら先生に、直接確認した方がいいだろう。
私は二人から離れて職員室のドアに手をかけると、そっと後ろを振り向いた。
「うん、じゃあその、行ってくる……」
「行ってらっしゃーい。終わったら駅前のカフェに行こうね」
不安でいっぱいの私に向かって、朱里と未知留が笑顔で手を振ってくる。それに少し勇気づけられながら、私は職員室の扉を開けた。中に入り、真柴先生を探す。
「失礼しまーす、あの、真柴先生……」
「あー、茅根さん。こっち来て」
私が入ってきたことに気が付いた真柴先生が、自分の席から手を振った。そちらまで歩み寄ると、先生が分厚い冊子と折りたたまれた紙、そして丁寧に巻かれた封書を差し出してきた。
「放課後にありがとう。これが留学のガイドラインと、高等学校があるコウエン市の地図、それと聖バーソロミュー高等学校のガーフィールド校長先生からの手紙です。よく目を通しておいてくださいね」
「は、はい……」
ガイドラインの分厚さに少し慄きながら、素直に先生から渡されたものを受け取る私だ。ずっしりと重たいそれらに目を落としながら、私は先生へと声をかける。
「あの、先生」
「はい?」
私の問いかけに、にこりと笑って返す先生。意を決して、私は抱えていた疑問を先生にはっきりと提示した。
「なんで、私が留学することになったんですか?」
質問を投げた後、少しだけ私は後悔した。
本当は先生も理由なんて知らなくて、ただ私にこれを渡すのが仕事なだけかもしれない。それとも理由なんてなくて、ただ無作為に選出されたのが私なだけかもしれない。
しかし先生は、にっこりと笑みを浮かべたまま、私の目を見て口を開いた。
「多分、茅根さんが『友達がいっぱいいて、明るい子だったから』じゃないでしょうか?」
「そんなことで……?」
先生の提示した答えに、またも呆気に取られる私だ。
確かに、私は友達が多い。クラスの中だけに限らず、学校全体で仲のいい子は多い。明るい子だというのも、間違ってはいない。
しかし、そうだからと言って私が交換留学対象者に選ばれるのは、いまいち腑に落ちない。私以上に明るい子なんて、学内に何人もいるのにだ。
納得しかねる私に、真柴先生が優しい声で話しかけてくる。
「交換留学の対象者は、異世界側と地球側が協議したある程度の条件の中で決めていて、『今年はこの子を』とそれぞれの学校が一人ずつ決めるんですよ。つまり、バーソロミュー高等学校に、茅根さんは選ばれたというわけなんです」
先生の言葉に、私の見開かれた目がますます開かれる。
国を代表する名門校に、私が選ばれた。しかも勉強が出来るからとか運動が出来るからとかじゃなく、私の性格で。
何となく嬉しくて、気持ちが沸き立つのを感じながらも、私の疑問はまだまだ尽きない。
「でも、向こうの学校って名門校なんですよね? そこに私が行くなんて……」
「怖がらなくても大丈夫ですよ、あちらの世界の皆さんも、異世界出身で魔法が使えない人には慣れていますから」
「魔法……あるんだ……」
さらりと「魔法」という単語を出してきた先生に、私はほうとため息をついた。
異世界では「魔法」と呼ばれる独自技術が発展し、文明を築いていることはよくある。むしろ地球のように魔法の要素がなく、科学技術が発展している世界の方が、世界のタイプとしては少数派らしい。
そんな世界に地球人の私が行って、はたして大丈夫なのだろうか、と心配になったが、先生曰くその心配は無用らしい。
「『ハビシャグ』は魔法技術が発達した世界で、日々の生活にも魔法が密接に関わっていますが、魔力のない人でも不自由なく生活できる世界です。言葉については『ハビシャグ』側が翻訳魔法を用意しているから、心配しなくても大丈夫ですよ」
「は、はい……」
にっこり笑いながら「ハビシャグ」が地球の人間にも暮らしやすいことを説明する真柴先生の話に、私は付いていくことを途中から放棄していた。
何というか、文字通りの異世界の話すぎて理解が追い付かない。
ぽかんとしたままの私の、ガイドブックや手紙を持った手に、真柴先生が優しく手を添えてくる。
「茅根さん、大丈夫。
貴女が普段から行っている『皆と分け隔てなく接すること』を忘れなければ、皆が貴女を快く受け入れてくれますから。それで、貴女は選ばれたんですから」
先生の「大丈夫」という言葉に、私の気持ちが少しだけ楽になる。
ここまで言ってくれるのだから、本当に大丈夫なんだろう。そうでなければこんなに嬉々として、生徒である私を送り出すことはない。
そう考えながら、私はこくりと頷いた。
「はい……分かりました」
「はい。頑張って来てくださいね。出発までの間に分からないことがあったら、先生まで質問に来てください」
真柴先生の言葉に、もう一度頷いて。
私は職員室を出るべく扉の前まで歩き、そこで振り向いて先生に頭を下げた。
「失礼しましたー……」
「はーい」
短く返事を返してくる先生。その声を聞きながら私は引き戸をガラリと開ける。
朱里と未知留はそこで私を待っていた。
スマートフォン片手に何やら話していたらしい二人が、揃って分厚いガイドブックを手にした私を取り囲む。
「ねえ、ねえ、どうだったの!?」
「真柴先生、なんだって?」
嬉々として私に声をかけてくる友人二人に、少し戸惑う私だ。
だって、真柴先生から教えてもらった「その理由」は、本当に他愛のないものだったのだから。
しかし、それでも。
「私が……皆と、分け隔てなく、仲良くするから、選ばれたんだ、って」
私が素直に、その理由を告げると、朱里も未知留も大きく頷いて、納得の表情を浮かべた。
「なるほどー、それなら確かに、美乃梨ちゃんは適任よ」
「そうそう。皆と仲がいいし、誰にも物怖じしないで話しかけるもんね」
にっこり笑い、私の肩を叩き。
二人は私の選ばれた理由を、そのまま受け入れてくれた。
少し拍子抜けだ。もっと、「えー、そんな理由で?」と言われるかと思っていたけれど。
「そう……かな」
「そうそう。さ、カフェいこー。留学決定のお祝いするよー!」
朗らかにそう言いながら、朱里が私の手を引いた。未知留も一緒に歩き出す。
友人二人に手を引かれながら、私はいつの間にか、留学が楽しみになっている自分の心に気が付いた。
こんなに喜んでくれて、快く送り出そうとしてくれるのならば。
異世界に行くのも、悪くはないのかもしれない。
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