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一 七躯町へ
七躯町に向かうバスを探しているのだと告げると、駅員は三つ忠告をくれた。
駅前のロータリーに停まる緑色のバスが七躯町に向かうものだが、同じような色でまったく別の方面に行くものがあるから、間違えないようにすること。といっても、七躯町行きは四番乗り場、もうひとつはその真向かいの一番乗り場からだから、右手に進んでいけば間違いない。
バスにある両替の小銭はしょっちゅう切れているから、お札しかないのなら、ここでジュースなり買って用意をしておくこと。これを言うとき、駅員は、まるで蓬が初めての一人旅をする中学生かなにかのように、いやに念を押してきた。蓬は確かに女子大生にしては小柄だが、かといって童顔な訳でもない。こんなところに若い女が来るなんて、きっとめったにないだろうから、親切のつもりなんだろうと、蓬は好意的に受け取っておくことにした。
それから三つ目だけど、と駅員は絶えずしたたり落ちる汗をタオルで拭いながら言った。あんたは入母屋に行くのかね、それとも殻出に行くのかね。
どちらも初めて聞く地名だったので、蓬はとまどった。駅員が目に入りそうな汗を瞬きで追いやりながら、じっとこちらを見てくる。それでも塩分が目にしみるのか、駅員の目はやけに充血していた。
「民宿がある方……」蓬はうろたえている自分を恥じながら、恐る恐る口に出した。
「ネットでも民宿の情報なんてなかったから、予約が取れなかったんです。泊まるところがあればいいんですけど。もしなかったら、ほら、この駅近くにはあると思うけど、バスでも不便そうで」
駅員はこちらを見上げてくる蓬の顔をじっと見ていたが、やがてふうっと息をつき、分厚い唇に笑みを浮かべた。
「民宿なら、入母屋の辺りにしかないよ」タオルで首筋をぬぐい、「たいがいの店もね。殻出はなんもない。地元のがいくらか住んでいるほかはね。商店がひとつあるけど……いやそれも、私がちっさいころに一度見たっきりだから、潰れてるかもしれんね。あの町でよその人が寝泊まりするなら、入母屋でないと。でも、あんたは東京かどっかから来たんだろう。何も期待しちゃいかんよ。おもしろいことなんてひとつもないんだから」
「東京でなくて、金沢からです」蓬は遠慮がちに訂正した。
「そりゃ、ますます遠いところから」駅員は近くで回っている扇風機が止まりかけているのに気が付いて、コンセントを抜き差しし、強のボタンを腹立たしげに何度か押した。扇風機はうたた寝から目覚めた老人のように、のろのろと動き出す。
「朝一で出てきてもこの時間だろう。入母屋に着くころには夕方だよ。でもどのみち、何もすることはないからね」
「バスの時間は?」
駅員は駅務室内の壁に貼ってあるらしいバス停の時刻表に指を沿わせて、「十五時二十六分発。あと二十分ちょい……売店かどっかで、必要なものでも買っていきなよ。そしたらちょうどだろう」
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