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ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ
ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ
思いかえせばオレが小説に目覚めたのは、初めて太宰治の『斜陽』を読んだときからだ。
高校3年生の夏休みに、当時住んでいた福島県浜通りの地方都市から仙台市まで、予備校の夏期講習を受けるため電車で1時間半ほどかけて通った。その電車の中で ──お小遣いで購入した新潮社文庫で── 初めて『斜陽』を読んだ。
それはまだ社会も何も知らない高校生のオレにとって、とても刺激的で衝撃的な物語だった。とくに主人公のかず子が小説家の上原と結ばれた晩の朝に、弟の直治が自殺をしたシーンに、茫然自失となって何も考えられないほど強い衝撃を受けた。
──不良とは、優しさの事ではないかしら。
かず子のこの言葉に、それからオレは札つきの不良に憧れて生きてきたような気もする。
──オレは、うそつき、ふだつき、おおつき(本名)だよ! とよく酒を飲みながらふざけたものだ。
続けて『人間失格』を読み、それからずっとオレの核心の部分には、太宰治が存在し続けている。
ちなみに大学1年生の冬には、東京三鷹の禅林寺の太宰治のお墓を参り、山崎富栄と心中をした玉川上水や井の頭公園もみてまわった。さらに大学2年生の夏休みには、青森県の旧金木町の太宰治の生家「斜陽館」へ行き、大学4年間で太宰治の全作品を読んだ。
おそらく太宰治は、好き嫌いが極端に分かれる小説家だろう。嫌いな人には、到底受け入れられない部分があるのも確かだ。大地主の裕福な家庭に生まれ、自殺を繰りし支離滅裂な人生を送り、甘ったれた人間だと思わっている方も少なくないだろう。
それでもオレは、もっとも人間の核心にせまった小説家だと確信している。
MC、マイ、コメディアン
今朝、愛犬シーズーのシーは、布団からぬけ出して玄関先のフローリングで熟睡している。
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