永遠のかなたに

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原民喜は、1945年8月6日広島で原爆を被災しました。 それ以後、彼は文学の主題の根本に原爆被災をおき、それは同時に、彼がその後生きぬいてゆくべき生涯の根本に、原爆被災をおいたということでもありました。 この原民喜の短編集を編集(昭和48年当時)した解説者は、とくに若い読書に向けて語りかけたい二つの理由があるといいます。 一つは、若い読書がめぐりあうべき、現代日本の、もっとも美しい散文家のひとりであるということ。 明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを(たた)えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体… そして第二の理由は、原民喜が原子爆弾の経験を描いて、現代日本のもっとも(すぐ)れた作家であること。 そして編集者でもある解説者は、原民喜の原爆以前の作品をすべてはぶいて編集したという。 なぜなら若い人々は、作家にとってその文学の主題が、いくつでもありうると考えるかもしれないけれども、しかし真の作家にとっては、彼の生涯が唯一であるように、生涯をかける文学の主題もかぎられたもの、深いか浅いか、それのみを問題とし、より深めるために勇気を持った作家は、あえて彼自身の主題を選びぬき、自分を豊かにするかもしれない他の可能性を切り棄てすらするであろうから。 原民喜は、対人関係において、(おく)する幼児のようであったと言われるぐらい、極度に無口でおとなしい人だったらしい。 唯一の話し相手であった妻貞恵さんが、病のために亡くなった翌年、疎開先の広島の実家で原爆被災を体験し、文学の主題の根本に原爆被災をおかざるえなくなってしまいました。 原子爆弾の惨劇のなかに生き残った私は、その時から私も、私の文学も、何ものかに激しく(はじ)き出された。この眼で()た生々しい光景こそは死んでも描きとめておきたかった…
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