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『取り替え子』とRimbaud
オレは、Rimbaudのことはよく知らない。
大江健三郎の長編小説『取り替え子』の「序章 田亀のルール」において、古義人(大江健三郎自身がモデル)は、ランボオの小林秀雄訳『別れ』"Adieu"の詩句を介して、吾良(故伊丹十三がモデル)が自分に対して、あからさまに別れの言葉を続けていたのではないかと思いいたる。 ──大江健三郎の妻が伊丹十三の妹。よって二人は義兄弟──
《すでに秋! ──しかしなにゆえに永遠の太陽を惜しむのか。私たちが聖なる光明の発見につとめているのであるならば、──季節の推移に従って恍惚の死を遂げるひとびとからは遠く離れて。》
そして古義人は、高校生の自分と吾良がもっとも好んだ詩句は次の行だったということを懐かしむ。
《そして、暁に、熱い忍耐で武装して、私たちは輝かしい都市に入城するだろう。》
《そしていずれ私には、ひとつの魂とひとつの肉体のうちに真実を所有することが、許されるだろう。》
Rimbaudが『地獄の季節』を書いたのは19歳のときで、ヴェルレーヌと別れたあとのことだったらしい。Adieuを小林秀雄は「別れ」と訳したが、もともとは別れに際して言う言葉、英語のグッドバイに相当する言葉のようだ。誰に向かって別れを言っているのか、おそらく人間世界に向かってなのだろうという人もいる。実際その後のRimbaudは、砂漠のなかに身を隠しアフリカの少年を相手に男色行為に耽るほかは、人間世界への関心を失ってしまったらしい。
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