Force qui Va=行く力

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Force qui Va=行く力

 大江健三郎は16歳の時、「生涯の師」となる渡辺一夫の岩波新書『フランスルネサンス断章』と出会った。 ──たとえば「寛容と不寛容」ということをずっとヨーロッパの人間は考えてきた。16世紀のフランスでこうだったと書かれてあった──  当時、高校1年生であった大江健三郎は暴力的な虐めにあっていたため、こんなすばらしいことを考える人たちがいたのか、それをこのように日本人に伝えてくれる人がいるのか、と情念的に夢中になったという。「自由検討の精神」という、この本で繰り返される言葉が、自分の将来への道を示すようだった。 注:旧仮名遣いだった原文をそのまま引用。  ──ルネサンスは、中世のキリスト教神学の絶対制度から人間を解放し人間性を確立したと言はれる。それはそれで結構であるが、これを別な言葉で言つてみると、古代から人間に与へられてゐた自由検討libre examen精神の再認知・復位・復権・前進が行われたことになると思ふのであり、この精神の持つ(たくま)しい力の(ゆえ)に、ルネサンスは近代の開幕と言われるのであらう。  そして、大江健三郎は振り返って述べている。  ──この本には、弱い人間が何とか抵抗して自分の考え方を広めようとする、その戦いに敗れて殺されたりもする、しかし、そういう人間の大切さということも書いてあって、フランス・ルネサンスを勉強したら、幾人もの自分が好きなタイプの人間に出会うことができる、という感じがした。  その後、大江健三郎は一年浪人して東京大学へ入学し、駒場の教養学部を終えるまでに、渡辺一夫のエッセイ集、翻訳のすべてを読み、本郷のフランス文学科に進んだ。彼が最初の授業で待ち構えていると、渡辺一夫は教室に入ってくるなり外套をパッと脱ぎ、それを丸めて教壇の横の床に置いて授業を始めた。そのやり方がじつに格好が良く、江戸の喜劇俳優のエノケンに似ていて、すべて完成している俳優が目の前で演技しているようでもあり、そのパフォーマンス全体が渡辺一夫そのものだ、と感銘した。この時間から新しい人生が始まると、思いながら……  またその頃、大江健三郎は友人の伊丹十三に、 ──大江健三郎は伊丹十三の妹と結婚している── ユーゴーの『エルナニ』の台詞(せりふ)として渡辺一夫のエッセイにあった『Force qui Va=行く力』というタイトルの小説を書いて渡したという。  ──弱い人間が何とか抵抗して自分の考え方を広めようとする、その戦いに敗れて殺されたりもする、しかし、そういう人間の大切さ── こそ《Force qui Va=行く力》かもしれない。オレは、大江健三郎の小説を読んでいると、弱い人間が何とか抵抗する力、《Force qui Va=行く力》をつねに感じるのだ。 2e7ac8b5-bc59-479a-bd34-5e59f9965331
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