『晩年様式集』その4 「カタストロフィー委員会」Papt1

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『晩年様式集』その4 「カタストロフィー委員会」Papt1

 大江健三郎の最後の長編小説『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』の「カタストロフィー委員会」という章を読了した。 ──今の大学生をはじめとする若者のなかで、大江健三郎の小説を読んだことがある人間はどれほどいるのだろう? おそらくそのような若者に出会うことは稀であり、むしろ多くの若者は名前さえ知らないのではないか。たとえば渋谷を歩く若者に尋ねたならば、誰それ? という返事が返って来そうだ──  この章に関しては、オレがとくに印象的に感じたことのみ記すつもりだが、まず章のタイトルにある「カタストロフィ」という言葉に興味をそそられた。  goo辞書によると、カタストロフィ(catastrophe)とは、 ──1突然の大変動。大きな破滅。2劇や小説などの悲劇的な結末。破局。3演劇で、大詰め。── とある。おそらくこの章においては、1の突然の大変動、大きな破滅という意味で使用されている。大江には、「3・11後」の福島原子力発電所事故後の日本にこそ、「カタストロフィ」という言葉が想起されたのではないのか。 ──この長編小説は、東日本大震災後の2013年、大江健三郎78歳時に発表──  思えば、大江の作品には少なからず《世界の終末》というモチーフないしイメージによって描かれたものがある。中期の長編小説『洪水はわが魂に及び』では、人類の破滅とその未来が黙示録的に描かれていた。ロシアのウクライナ侵攻、ハマスとイスラエルの戦争、北朝鮮のミサイル発射、あるいは地球の温暖化や人口の過剰化など「カタストロフィ」となる要因は全世界に満ちている。  渋谷の若者に「カタストロフィ」への危機感は、ほとんどないだろう。安倍元首相が銃撃された時、オレは少なからず「カタストロフィ」を感じた。 ──そして短編小説『シーと21世紀の阿呆船』を書いた── オレが大江に共鳴する大きな理由は、やはり《世界の終末》観と「カタストロフィ」なのだ。
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