『晩年様式集』その7 「溺死者を出したプレイ・チキン」その1

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『晩年様式集』その7 「溺死者を出したプレイ・チキン」その1

 大江健三郎の最後の長編小説『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』の「溺死者を出したプレイ・チキン」という章について記していく。  長江(大江健三郎自身がモデル)の故郷、四国の森の村における年長の友人であった亡きギー兄さんの長男ギー・ジュニアが、アメリカから自らプロデュースするテレビ報道の番組を制作するため来日した。そしていったん四国の森のの基地に集まってから長江の成城の自宅へやって来た。長江を対象としてのインタヴューが目的だが、長江の妻の千樫(ちがし)や妹アサの四国からの参加も計画されていた。  上京したアサは、兄である長江にお茶を運んで来たおり、唐突な質問をした。  ──兄さんは、ギー兄さんから”play chicken“という新語を教わった、といったことがあるでしょう? 言葉は面白いけれど、今日も「プレイ・チキン」の実際に付き合わされて疲れた、とあまり嬉しそうではなかった……  深いところの、沈めてある古い松の根株まで二人で潜って、それぞれ片腕で根株につかまって、もう片腕は相手の肩に廻して、息を停めて我慢する。これ以上はダメとなった方が相手を離して浮かび上がる。溺れるのが恐くて先にそうした方が、「卑怯者(キチン)」。自分はいつも余裕を持って後から浮かんで、かれを口惜しがらせた、と……  またギー・ジュニアは、父親のギー兄さんのことが中心に描かれた長江の長編小説『懐かしい年への手紙』を詳しく読んでいるようだった。長江の長女真木はすでにギー・ジュニアの秘書役として働いていたが、今度のインタヴューでは全体の構成に乗り出す予定だった。パパへのギー・ジュニアの質問には『懐かしい年への手紙』の内容についてと、実際の出来事として起こったことと、二つが重なっている。両方知っているのは、パパとアサ叔母さんしか居ないんだから、まず小説の部分が現実ではどうだったかオサライしてほしい……  オレは『懐かしい年への手紙』を読了しているが、ギー兄さんは、ダンテの『神曲』を熟読している人間として描かれていた。もちろん大江健三郎自身も『神曲』を学者レベルで研究していたようだ。  参考までにダンテの『神曲』について、オレなりに調べたことを簡単に記してみたい。  ダンテは、イタリア都市国家フィレンツェ出身の西洋中世の大詩人である。彼が書いた『神曲』によって数しれない人たちがキリスト教信仰の深さ、広さを知らされた。また導かれる人生がいかに重要なのか、神の裁きと愛、神との深い霊的な交わり、神から与えられる喜びや力、そして政治や社会の出来事とキリスト信仰との関わりがいかに重要かといった内容を、驚くべき均整のとれた構成で歌っている。  異性間の愛情等など、実際に彼が故郷を追放されて流浪の人となりつつも、長い年月を要して、生涯の終わりちかくなって完成した作品であり、一万四千行のあまりにも膨大な長編の詩である。  最晩年までの十数年という歳月を費やし、流浪の苦しみと悲しみのただなかで完成された比類のない作品だという。さらにこの『神曲』は地獄編、煉獄(れんごく)編、天国編という三つの部分に分かれていて、それらは地獄編が三十四歌、煉獄と天国編は各三十三歌であり、合計が百歌になっている。  桜も散り、もうすぐ5月の連休がやって来るが、オレは仙台市中心部の定禅寺(じょうぜんじ)通りの欅並木(けやきなみき)が、新緑に覆われるのが楽しみだ。今年も愛犬シーズーのシーと一緒に、黄緑色の新緑を見に行くつもりだ。  ──シー、今年も定禅寺通りの欅並木の新緑を見に行こうね、クンクンばかりしていないでケヤキたちの囁きを聴いてごらん! 0fd85f00-8d6f-4b20-9067-38f48f146409
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