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『晩年様式集』その7 「溺死者を出したプレイ・チキン」その2
大江健三郎の最後の長編小説『晩年様式集』の「溺死者を出したプレイ・チキン」という章について続けて記していく。
この章は、長江(大江健三郎自身がモデル)とギー兄さんとの物語が主体となった長編小説『懐かしい年への手紙』を取り上げてすすんでいく。さまざまなエピソードが描かれているが、印象的な部分のみ一つ記してみたい。
ギー兄さんが殺人事件を起こし刑期をすませたあと、成城の長江宅を訪問した際に発した言葉。かれは獄中でもダンテの『神曲』を熟読していた。 ──ギー・ジュニアは、長江はまだ生きているけれど、私小説的な長編はみなカタストロフィーを予感しているといっている──
《その思いに立って私を前景に押し出す小説を書く。きみの山登りの失敗を・空振りを自分は惧れるんだ。Kちゃんが自己の回心の・死と再生の物語をめざしていることはあきらかだよ。しかし、それには時がある。Kちゃんよ、きみのなかで自己の回心の・死と再生の物語を書く時は熟しているかい? もし、時のみちていないことを自覚しながら、しかしそれを書くほか作家として暮しえぬというのならば──経済的にというより、文壇での生活感情としてさ──、東京を離れて森のなかの土地に戻ってはどうだい? きみを終生の協同経営者として、新しい仕事に迎えるがね。》
昨日、3つの衆議院補欠選挙が行われ、立憲民主党が3議席を獲得し自民党は惨敗した。国民は裏金問題等への強い批判を示したけれど、今回の投票率は島根1区で54%だったが他は50%に届かずかなり低かった。これだけ自民党の金と政治が問題となっていても、多くの国民は投票に行かなかったのだ。政治不信があるとしても、現在の日本人の意識の低さは、30年間経済成長できなかった日本を象徴するように、日本の将来へ大きな不安を残した。要は、個人の意識は若者を中心になおも低いままであり、もはや日本は衰退を避けられないだろう。
昨日は仙台も初夏の陽気だった。愛犬シーズーのシーと爽やかな夜明けに散歩をした。シーはいつにもまして楽しそうだった。
──シー、あたたかくて気持ちがいいね!
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