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『ヒロシマ・ノート』プロローグ 広島へ…… その1
大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』を読みはじめ、「プロローグ 広島へ……」を読了した。
この『ヒロシマ・ノート』の冒頭に下記のことばが記されてあった。
後世の人々の誰が理解できましょう?
われわれが光明を知った後、再びこのような暗闇におちいらねばならなかったことを
セバスチヤン・カステリヨン
『何を疑い、何を信ずべきか』
まずこの本は、個人的な話から書きはじめられている。終始一緒にこの仕事をした編集者の安江良介と大江健三郎が、1963年夏の広島に一緒に旅行をしたときの、ふたりの個人的事情についてである。
大江については、最初の息子が瀕死の状態でガラス箱のなかに横たわったまま恢復のみこみはまったくたたない始末であったし、安江は、かれの最初の娘を亡くしたところだった。そして、ふたりの共通の友人は、かれの日常の課題であった核兵器による世界最終戦争のイメージにおしつぶされたあげく、パリで縊死してしまっていた。
ふたりはたがいに、すっかりうちのめされていたが、ともかく夏の広島に向かって出発した。あのようにも疲労困憊し憂鬱に黙りこみがちな旅行を、かつて大江は体験したことがなかったという。
しかし1週間後、広島を発つとき、ふたりはおたがいに、自分自身がおちこんでいる憂鬱の穴ぼこから確実な恢復にむかってよじのぼるべき手がかりを、自分の手がしっかりつかんでいることに気がついた。そしてそれは直截に、ふたりが、真に広島的な人間たる特質をそなえた人々に出会ったことのみ由来していた。
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