『ヒロシマ・ノート』プロローグ 広島へ…… その2

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 また未亡人の実姉である広島母の会の小西信子さんの言葉はわれわれをうつ。  ──妹よ、よくすべてのことを成し遂げてくれました。峠さんとともに悔いのない一生であった、と私は賞賛の言葉を惜しみません──   ちちをかえせ   ははをかえせ   としよりをかえせ   こどもをかえせ   わたしをかえせ   わたしにつながる   にんげんをかえせ   にんげんの   にんげんのよにあるかぎり   くずれぬへいわを   へいわをかえせ  この叫び声は、じつにわれわれ生き残っている者たちのために発せられた詩人の声であるが……  おなじ3月22日午後、東京では、やはりわれわれ生き残っている者たちのために切実な叫び声をあげ、そして、その叫び声のはらむ祈りとはおよそ逆の方向に、人間の世界が回転する、おぞましい兆候が確実にあらわれた時、絶望感と毒にみちた屈辱感とともに自殺したひとりの作家の記念講演会がひらかれていた。作家、原民喜(はらたみき)は、広島で被爆し、広島のすべての人間が沈黙を強制されていた1945年暮、すでにあの正確な『夏の花』を書いていた。そして朝鮮戦争がはじまった翌年、彼は自殺した。    大江のいう詩人の叫び声に ──今の日本がこうしたひとたちの(いしずえ)のうえに成り立っていることに── 厖大な数の人間が、決して耳をかたむけようとしない時代、その叫び声のはらむ祈りとはおよそ逆の方向に、人間の世界が回転する、おぞましい時代は、今もかわりはないだろう。 2da89b00-6013-4bda-aa09-a98e4eb8e86c
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