『ヒロシマ・ノート』プロローグ 広島へ…… その3

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 20年間のまったき放置のあと、いま初めて沖縄の原爆被爆者たちへの窓がひらかれたのであるが、それはまだ単なる窓にすぎなかった。大江は、沖縄のひとりの被爆者が、広島の原爆病院への入院をすすめられながら、踏みきれない理由として、もしかれが沖縄を去れば、かれの家族たちがたちまち生活に困窮するという一例を聞いた。これはおそらく広く一般的な事情であった。現在の沖縄の医療水準では、被爆者たちが沖縄で放射能障害の治療をおこなうことは、専門医が常駐しても重い困難をともなうらしい。  大江はこの「プロローグ 広島へ……」の最後に、沖縄の被爆者の鋭い棘にみちた言葉を書きとめておくほかにさしあたってなにもできないことを恥じるのみであると記していた。  ──日本人はもっと誠意をもってもらいたい。いつもアメリカのご機嫌をとっていて、人間の問題を放置している。もし、やるつもりがあるなら、すぐにもやってくれ、すぐさま行動に示してくれ。それがみんなの心です──  大江がこの沖縄の被爆者の言葉を記してから半世紀以上の59年の歳月が経っているが、いま現在の日本人へも重く響く言葉であることに、オレは愕然となった。いったいこれはどういうことなのか?  ちなみにオレは、『ヒロシマ・ノート』と並行して、昨日からあの『カラマーゾフの兄弟』を新潮文庫の原卓也訳で読みはじめた。上、中、下およそ1800ページ。毎日1、2ページのんびりと読みつづけていくつもりだ。 72a2b7d2-e460-4e2a-a6bc-97b9c12a2c64
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