我々はどこから来たのか 我々は何者か  我々はどこへ行くのか

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しかしその後、ヒントを求めてゴーギャンの人生やこの大作のことをいろいろ調べてみますと、フランスで株取引の仕事をしていましたが、大暴落のため辞めざる得なくなり、画家の道に進んだこと。 家族と別れて、1人タヒチに(おもむ)いたこと。 そしてその後、貧困と病気に苦しみ最愛の娘アリーヌを亡くし絶望のうちに遺書として、この大作を描いたということ。 ゴーギャンは、幼少期にカトリックのメスマン神学校に通っていたため、その影響下でキリスト教の教理問答から、もしくは聖書の言葉からこのタイトルが生まれたのではないかとも言われいますが… ゴーギャンは、決して幸福な人生を送ったとは言えないかもしれません。 彼が都会のパリよりもタヒチの原始的なものに惹かれ、自ら確立した究極の美は、最後にあの大作をもって、おれたちに問いかけているようでもあります。 彼の魂は、根源的な深い問いかけのメッセージを残して、南の島で消えてしまったのでしょうか? 《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》と… 今日の仙台も初夏のような暑さでしたが、今、シーは枕もとでお腹を天井に向け、仰向けになってぐっすりと寝ています。 caf40ebc-0f91-4bfe-93d9-1a324480bfb2
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