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優しさの香り
下山した頃には太陽が傾きかけていた。ちょうど夕方の散歩の時間帯で、カヤと2人きりで歩くこの時間はオレにとって至福の時なのだが、今日は少しバツが悪い。
「ダメなんだからぁ……」
オレをギュっと抱き締めるカヤの細い腕は、小さく震えていた。大きな瞳から溢れる涙が、頬を伝って落ちてくる。
「危ないことしちゃダメ……熊さんとケンカするの禁止ぃ~」
『悪かったよ』
オレは心から詫びた。もう最悪だ。惚れた女を泣かせちまった。ラム助と山を下りてからオレが戻るまで、カヤはずっと泣き通しだったらしい。オレを助けにいくとゴネるカヤを、ラム助が必死に止めたという。
ヤツは家まで送ると言ったが、カヤはそれを断った。オレ達を見送るヤツの寂しげな面には優越感を感じたものの、カヤの涙を見たら罪悪感に変わった。
リュックの横で揺れる縁結びのお守りを眺めながら、オレはどっぷりと溜息をついた。女の涙を止めるお守りってのはねぇのかな。
「……アラン、覚えてる? 私たちが初めて会った時のこと……」
『え?』
「あの日の帰りに見た空も、今日みたいに夕焼けが綺麗だったなぁ……」
グスンと鼻を啜ったカヤが、空を見ながら呟いた。
「あの頃ね、私、第一志望校に落ちてへコんでたの。そんな私を元気づける為に、お父さんがペットを飼おうって言ってくれて、保健所が主催する触れ合いイベントに行ったんだよ。広い柵の中にはたくさんの犬がいた。パピヨン、シーズー、トイプードル……みんなシッポ振って寄って来て、かわいかったなぁ……」
オレを抱えながら歩くカヤの声に、少しずつ元気が戻ってきた。
「どの子と仲良くなれそうかなって考えてた時、柵の片隅でふて寝してる子犬に気づいたの。その子は誰がなでようとしても、ウッて怒って拒絶してた。まるで、"誰も選ばない"って言ってるみたいに……それが、アランだった」
オレも覚えてる。ガキの頃の嫌な記憶は全て忘れることにしたが、カヤと出会った時のことは大切な思い出だ。
「人を拒んでいたアランが、ふと目が合った私をじっと見つめて、ゆっくりと近づいて来てくれた。私を見上げて、小さいシッポをピコピコ振ってくれた時は凄く嬉しくて、泣いちゃった」
立ち止まって恥ずかしそうに苦笑したカヤは、あの時と同じ顔をしている。オレを優しく見つめながら、綺麗に微笑んだ。
「……アラン、私を選んでくれて、ありがとう」
宝石みたいな涙が、ポロっと零れて頬を伝う。
「いつも私を守ってくれて、ありがとう……アランと出会えて幸せだよ」
オレは、カヤの頬を伝う涙を舐め取った。鼻も、反対側の頬も舌で拭ってやった。何かしてないと、みっともなく泣いちまいそうだったから。
「アハっ、くすぐったい」
肩を竦めて、カヤが小さく笑う。
「アランが人間の言葉を話せたらいいのに……きいてみたいなぁ……どうしてあの時、私を選んでくれたのか」
オレはカヤを見返した。
カヤを選んだ理由―――
それは、"優しい匂い"がしたからだ。
まだ人間の言葉がわからなかったあの頃、生まれて初めて感じた優しさの香り。この人の腕の中なら、安心して眠れると思ったんだよ。
「さっきね、熊さんと遭遇した時、一瞬だけアランが人間に見えたの」
『えっ、マジ!?』
ふふっと笑いながら、再びカヤが歩き出す。
「変だよね。でも、見えた気がしたの……人間のアラン、カッコ良かったぁ」
『そっ、そうか!?』
「銀髪で、凄く大人でっ」
『だろ! オレも結構イケてるなぁとっ』
「大好きなARANにすごく似てたぁっ」
『そう! 大好きなっ………おい』
ちょっと待て。
そいつはもしや、お気に入りのアイドルか?
恥ずかしそうに抱き締めてきたカヤを、オレは頬を引きつらせながら見上げた。
『なぁ……まさか、オレの名前……』
頬をほんのり赤くして、カヤが幸せそうに笑った。
「アラン、大好き」
『それ、オレのこと……だよな?』
胸騒ぎがする。
ラム助に圧勝したはずなのに、敗北感がハンパねぇ。
ひょっとして、オレの敵は性悪な神とその下僕だけじゃないのか?
「私の運命の赤い糸……アランと結ばれてたら嬉しいなぁ」
『それっ、オレのことだよなっ!?』
にっこり微笑んだカヤの笑顔は最高に可愛いが、なぜかシッポの付け根にビビっと来ねぇ。
嫌味なぐらい爽やかな夕焼け空を見上げ、オレは高らかに叫んだ。
『おいッ、神! テメェちゃんとカヤの糸をオレに結んだんだろうなッ!?』
完 (?)
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