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Lesson 2
と――いうわけで。
「やあ、ヒジキ!」
「あ、ハ、ハロー、モグさん」
「How are you doing?」
「えっと、ア、アイムファイン、サンキュー……?」
「Wow! まだ始めて一週間なのにすごいよ、ヒジキ!」
「あ……サ、サンキュー」
ヒジキに懇願される形で始まった『モグとならなんでもできる!Let’s enjoy English!』も今日で七回目。
「Come on! 今日はショッピングで使う表現を練習するよ」
「あ、はい、お願いします!」
いつも通り深々と頭を下げ、ヒジキはほん僅か目を細めた。
彼の笑顔はとってもキュートだ。
人間の中でも『ニホンジン』というとってもシャイな種族の彼は、あまり感情を表に出さない。
それでも、近くでじっと見ていると、実はとても表情豊かなんだということがよくわかる。
ほら、今も。
僕が褒めたからか、ほんのり頬を染めて、上唇と下唇を挟み込んで、肩をいからせて、溢れ出る喜びを噛みしめている。
かわいい。
毎日この笑顔を至近距離で見られる上に独り占めまでできるなんて、父さんがものすごく羨ましい。
「ヒジキ、do you often go shopping with the president?」
「えっ……え?」
「社長と一緒にショッピングしたりするの?」
「あ、はい。時々……あ、え、えっと、Yes, I do.……です」
「……」
「モグ、さん?」
「OK! 今日は課外授業にする!」
「え、えぇっ!?」
「Let's go shopping!」
「モ、モグさん、待っ、あの、プ、プリーズ、ウェイト……っわ!」
父さんだけなんてずるい。
僕だって、ヒジキとショッピングしてやる!
***
勢いだけで飛び出してきた僕は「大事なシーンで映えるスーツを探してるんだけど、なかなか見つからない」なんて出まかせを堂々と紡ぎ出して、彼を街中連れまわした。
最初は遠慮がちだった彼も秘書の血が騒いだのか、だんだん積極的になり、カタコトの英語で店員さんたちと懸命にコミュニケーションを取りながら、僕のスーツを選んでくれた。
ヒジキのチョイスはいかにも彼らしく、面白みも珍しさもまったくない黒のストライプスーツで、ただ手触りと着心地だけは今までに身に着けたどんな衣服よりも最高だった。
それに、彼が選んでくれたというだけで、僕は意味もなく舞い上がった。
ヒジキと一緒に過ごす時間はとても楽しくて、いつもあっという間に過ぎていってしまう。
素敵なファッションコーディネートのお礼にと僕のお気に入りのビーガンレストランに連れていたら、チキンじゃないけどチキンの味がする大豆に大興奮して、普段は生真面目な彼にもこんな一面があるんだ、なんて妙に感心してしまった。
この一週間で、僕たちの距離は一気に縮まったと思う。
でも彼は相変わらず、ハグもキッスもさせてくれない……って、キッスは違うか……あれ、違う、よね?
「あ、そろそろ社長車が迎えに来る時間だね。今夜はウォンバット獣人コミュニティーの接待があるんだって?」
「はい」
「気をつけなよ」
「えっ……」
「彼らは酒好きだからさ。くれぐれも、飲まされすぎないように」
「……はい」
「Good!」
「あ、あの……モグさん、今日もありがとうございました。サンキューベリーマッチ」
「No problem! Did you have fun?」
「え、っと、Yes, I did」
「Great! なにか分からないところがあったらいつでも聞いてね」
「……Thank you」
あ、またあの笑顔を見せてくれた。
今日の彼は、なんとなくいつもより分かりやすい気がする。
僕とのショッピングを楽しんでくれたってことならいいな。
「あ、あの車、父さんの……」
「モ、モグさん!」
「ん?」
「ハ、ハッピー・バースデー! こ、こここ、これ、for you! です!」
「……え?」
「そ、それじゃ、あ、あの、シーユー!」
「あ、うん……See you?」
押し付けるように渡された紙袋を握りしめながら、僕は片手を上げた。
車幅の広い車が見えなくなるまで見送ってからこっそり中を覗いてみると、くしゃくしゃになった袋の底に小さな四角い箱が入っていた。
スーツを買ったお店と同じロゴが入っている。
開けると、タイピンだった。
なんの変哲もない艶やかなシルバーの端っこに、別の輝きがある。
エメラルド――僕の誕生石だ。
ヒジキはいったいどうやって僕の誕生日を知ったんだろう。
いったいいつの間にこれを手に入れていたんだろう。
そして、
僕はなんで、こんなにもドキドキしているんだろう。
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