山、半ば…

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流行歌だけが うっすら流れる店内…。 「人生…玉屑(ぎょくせつ)……」 低い響く声が、端席から… 「今降ったと思うたら  知らん間に消えてる雪や…  ほんでもなあ…   ああ…綺麗な雪やったあ   あの人と見たんやなあ  …と…思い出は…  人を生かしてくれる…」 いつもの席でぬる燗を やっていた松堂芳嗣が そう言って酒坏を置いた。 「女将、今夜もエエ酒やった、  ……ありがとう」 「おおきに!まいど!」 女将の声に送られて店を 出た松堂の背中を 皆も視線で送った。 「松堂先生なあ…まだ五十過ぎやで、  髪が真っ白で年配に見えるけど。  戦後処理で、焼跡の日本中…  なんでも欧州も見てきた  らしいわ……。最後の仕事を  終えて家に帰られたときには  黒々やった髪は真っ白になってたと  奥様が言うてはったわ……。  それから一切仕事は辞めて  時間のある限り、子供さんと  過ごしてはるんや……」 “ぷわあ”と消えた無数の人生を 松堂は胸に焼きつけて 戦後を歩いているのだと知って、 皆の胸は締めつけられた。 「河内の梅の花…毎年親父と  見に行ったなあ…」 「俺は秩父…シベリアでも  見る夢はいつも長瀞の景色」 「俺は裸祭り!故郷の秋祭り!」 各々に語る思い出…。 坂下が、 「千鳥ヶ淵で観た桜…  また…見に行くかなあ」 そう言うと、 みどりは黙ってビールを注いだ。 正の中で浮かぶのは 安芸の宮島。 (死んだ嫁とよく行った…) 水面も鳥居もはっきりしているのに 妻の顔だけがぼやけて… 茜になってしまう… そんな自分の薄情を 情けないと溜息の漏れたとこへ 勢いよく扉がガラリ! 「エラいこっちゃ!!  その角で、茜がトラックに」 一緒に出前に行ってた晶子が 飛び込んできた。    
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