1.もう一人の私

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◇  タクシーは、市街地にあるガソリンスタンド跡地へ。ガソリンスタンド自体はかなり前に廃業していて、事務所として使用されていた建物が貸店舗になっているのだ。兄、純によれば、現在は、占い稼業の兄とインド雑貨店を営む青年の二人でシェアして使っているらしい。  広い駐車場には、古ぼけた白いセダンの車が停まっている。一番上の兄である忍の車だ。私はあからさまに純をにらみつけてからタクシーを降りた。今回の失態を一番知られたくない相手だからだ。純も絶対わかっているはずなのに、あえて呼び出したのだろう。そう思ったら余計に腹が立ってくる。私は運転席に忍がいないことを確認してから、ずかずかと大股で歩き、ガラス扉を開けた。  真っ先に近寄ってきたのは、虹色のターバンを巻いた青年である。木のような配色のゆるい上下の服を着ている。青年はへらへらと笑いながら声をかけてきた。 「いらっしゃいませ~」 「すみません、お客様じゃないんです。いつも兄がお世話になっております。私、純の妹です」  私が不機嫌に答えたにも関わらず、青年は少しもひるまずに言った。 「ああ、どうりで似ていらっしゃるなと。僕、純さんのお隣さんの、波江億人っていいます。気軽に『おっくん』って呼んでください」  距離感が近い人間は苦手である。私は適当に相槌を打って、パーテーションで区切った向こう側に向かった。  忍は私と目が合うと、思い出したように、飲みかけの缶コーヒーに口をつけた。こういう寡黙なところが理解できないのである。必要な時でも必要なことを言わない。最後の最後で鶴の一声をかければいいと考えているのか、そうした余裕が私を苛立たせるのだ。かと言って、どうせ逃げ出すことは不可能。私は潔く丸テーブルの向かい側に座った。 「お兄ちゃん、久しぶり。お正月以来だね」 「ああ、そうだな」  喋った。いつもならお嫁さんに任せきりなくせに。その態度が余計に腹立たしい。 「今日、仕事は? お役所ってそんなに暇なの?」 「暇じゃないよ。半休使ったんだ。純が一大事が起きたって騒ぐもんだから、飛んできたんだ」 「別に来てくれなくたって良かったのに」  忍はちらりと私を一瞥したが、後ろから純が現れたのを見て悟り、いつものごとく貝のように口を閉ざした。私は心のなかで悪態をつく。意気地なし、と。忍は口論になりそうになると、自分からシャットアウトする。達観したような眼差しで、嵐が収まるのを待つのだ。  純は私の隣に座るなり、おネエ口調で口撃してきた。 「あんた一体、なに考えてんのよ。他人様に迷惑かけたら駄目よって、子供の頃から丹念に口酸っぱく言ってきたのに。なにがあったか知らないけど、結婚式でボトルを割るとか最低最悪。警察呼ばれなかっただけでもまだマシだと思いなさい。第一、仕事はどうするのよ。社長も社員もいる目の前で暴力沙汰起こした人間なんて、もうクビに決まってるじゃない。ああ、せっかく癇癪持ちの万千が落ち着いてくれたって安心してたのに。悩みの種がまた芽生えたわ」  私だって、抑えようと思ったのだ。でも、気づいたら気持ちが走り出していた。くすぶっていた怒りを止めることなんてできなかった。
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