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私は落胆しながら訊ねた。
「お母さんが残した手紙って、これだけ?」
「そう。これだけよ。万千はもうすぐ二十五歳になるのよね。だから忍お兄ちゃんと相談して、公開することにしたの」
「存在自体を非公開にしていた理由がわからないんだけど」
「あんまり早くに見せても、警戒しながら萎縮して過ごすことになってしまうんじゃないかと思ったのよ」
「確かにそうかもしれないけど……」
或いはもっと早く知らされていれば、私はもっと安泰な人生を歩めていたかもしれない。二股をかけるような男とは、早々に縁を切ることができていたかもしれないのだ。私はもやもやした気持ちを高まらせながら問いかけた。
「この手紙って、いつ預かったの?」
「そうね、いつだったかしら……」
追憶するように純が視線を投げかけると、忍が言葉を継いだ。
「俺が二十歳、純が十五歳、万千が十歳の時だ」
「ああ、お母さんが放浪の旅に出た年ね」
「あの時は驚いたな。父さんは他界していたし、俺も公務員になってまだ間もなかったから。まあなんとか生活はできたが」
「貧乏で大変だったわねえ」
「米が買えなくて、小麦粉で食いつないだこともあったな」
二人は昔を思い出して笑っているが、私は笑えない。授業参観も卒業式も三者面談も、私だけどちらかの兄が来ていたから。新しい靴下が買えなくていつも穴が空いていたし、お弁当はパン一個だけだった。流行りのデザートを友だちと食べに行くこともできなかった。破天荒な自称魔法使いに振り回される人生なんてもうまっぴら。二十五歳という年齢は、おそらくどんな女にとっても節目に当たるだろう。母は適当なことを書き付けただけだと思う。そうに決まっている。
「偉大な魔法使いだかペテン師だか知らないけど、茶番に付き合わされるならもう帰りたいんだけど」
「お母さんは本物よ」
「なんでそんなことが言えるの?」
喧嘩腰の私に対し、純はあくまでも冷静だった。まじないの描かれた鏡をゆっくりと表に返し、私の顔が映るように鏡面を向けた。
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