1.もう一人の私

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◇  純によれば、母・芽衣子の魂は、かつての彼女が若かりし頃に妹と暮らしていた、とある町の一軒家にとどまっているのだと言う。 「いわゆる未練というものがあって、成仏できない、とか……?」  私がおそるおそる訊ねると、純は小首をかしげ、さあね、どうなのかしら、とつぶやいてから答えた。 「お母さん……、芽衣子さんの場合は違うのかも。強いて言うなら、趣味かしらね」 「趣味……」  そもそも論、魂だとか幽霊の概念というものは、科学では説明できないあやふやな存在である。いざ目の前に突きつけられると、ますます胡散臭く思えてきた。仮に肯定するとして、「わたし、ここに住みたいのよね。現世最高」などという勝手な理由で滞在し続ける幽霊なんているのだろうか。近所でも有名なお化け屋敷になっていなければいいのだが。 「今その家ってどうなっているの? 睦美おばさんが管理してるの?」  睦美おばさんとは母の妹で、生涯独身宣言をしている風変わりな女性である。彫りの深い顔立ちに、色素の薄い茶色い瞳、同系色をしたふわふわの天然ウェーブを持ち合わせているのだが、親族の誰にも似ていないので、隠し子説や養女説が密かに流布していたのを知っている。確か近頃は山奥に引きこもり、自給自足生活をしていると聞いていた。花柄のワンピース姿しか見たことのない私にとっては、未だ信じがたいことだ。鋤や鍬とは一生縁遠い人物だと思っていた。人は見かけによらないものである。 「以前は睦美おばさんが管理していたけれど、実は三年前、芽衣子さんが亡くなってすぐに忍お兄ちゃんに権利譲渡されたのよ。だから今のオーナーは、忍お兄ちゃんってことになるわね、法律上は」  純はすらすらと述べた後にひと呼吸を置き、ふたたび口を開いた。 「実際の管理はあたしがしていたの。なぜなら忍お兄ちゃんの手には追えない大変なことが起きていたから。物の怪、あやかし、神様、妖精……、人間とは違う不思議な生き物が集まってきていて、いつしか誰も入ることができなくなってしまったの。ご近所さんにも聞いてみたのよ。おかしなことが起きていたわ。この家は長いこと空家になっていて、三十年近く人が立ち入った気配がありませんよ、って町内会長さんに言われてしまったの。睦美おばさんが住んでいた事実までかき消されていた……。どうすることもできないってわかった時、真っ先に浮かんだのが万千だったわ。第六感が働いたのかしらね。そこへ普段はほとんど接点のない万千から連絡が来たのよ。これも芽衣子さんのお導きなのかもしれないと思いながら迎えに行ったわ。それが今日の話」
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