51人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ
店員がフラスコとコーヒーカップを運んできた。
「お待たせしました」
カチャ、と小さな音がして目の前に置かれた。
立ちのぼる香りに脳が活性化された気がして、僕は少しだけ強い声を出した。
「この傘、彼に返してあげて下さい」
ミウさんが驚いた顔で僕を見た。
「とてもいい傘なんです。多分あの、知る人ぞ知る、老舗の傘屋さんの。梅雨に入ったし、彼、この傘を探しているかもしれない」
この喫茶店を選び、上質な傘を持っていた彼は趣味がいい人だろう。
その彼が選んだミウさんも、きっと素敵な女性に違いない。
ミウさんの顔がほんの少しだけ、明るくなった。
「……持って行ってもいいかしら」
「勇気を出して」
僕は無責任に励ます。
ミウさんは携帯の時計を見ると、
「私、もう姪のお迎えに行かないと」
折りたたみ傘をバッグにしまい、赤い傘を持って立ち上がった。
「あの!」
僕はミウさんの後ろ姿に声をかけた。
「なにかあったら、またここで会いましょう」
ミウさんは振り向いて微笑んだ。
「ありがとう」
そして店を出ると、窓の外から小さく手を振った。
今日の雨の細かい水の粒子が、ミウさんのまわりを舞う。
赤い傘は揺れながら消えていった。
最初のコメントを投稿しよう!