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もう訪れないつもりで彼女の屋敷を出てから数日後、僕は再びタクシーを拾ってその場所に向かわなくてはならなくなった。病院へ行く用事があった僕は財布の中を見て保険証がないことに気が付いた。
あの日自力で帰ることが出来なかったため、屋敷の庭で財布の中身を確認した。外に出た時あたりは薄暗くなり始め、片手で傘を持っていた。その時に落としていたとしても不思議じゃない。
庭になくてもタクシー会社に電話をすれば昨日乗せてくれたタクシーを探せるはずだ。病院の前まで来て引き返す羽目になり、少しだけ自分がいらだっているのを感じた。
雨が降っていた。ビニール傘を広げると、ぱらぱらと雨があたって流れて落ちた。庭に新しい足跡が出来ている。犬を埋めたあたりを迂回するように続く足跡。それは屋敷へ向かって消えた。保険証はないように見える。
こげ茶色の扉の前に立ち、ノックをする。小さな音だったような気がしたがそれでも足音が聞こえ、そっと扉は開かれた。今日は青色のワンピース。ふわりと広がった裾に紫陽花の刺繍があしらってあり、美しい庭の一部を切り取ったようにしっとりと鮮やかであった。
「こんにちは。渡さん」
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