アリスのお茶会

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アリスのお茶会

 わたしが中学三年生の時にとある遊びに夢中だった。  「アリスのお茶会」と言う恋愛報告会を……  「北村さん、隣いい?」  わたしに問いかけてきたのは別の中学校へ通う白井さん。  「……はい、どうぞ」  素っ気なく答えた。白井さんは一言礼を言うと座った。夕日も沈み、暗くなった外を窓越しに眺めながら、塾の授業が始まるのを待つ。学校の授業の後に受験のために通う塾だけど、ここはわたしが通いたかった塾だった。  わたしの通う塾は「Hearts」と言うこの地域では有名で、普通の塾とは少し違う。  見た目は小規模の大学。本館はそれぞれの学科ごとに教室があって購買コーナーや食堂もある。外にはグランドや体育館、プールもあって、体育分野にも指導が可能。芸術分野でも美術の教室や音楽の教室もあり、ホールや展示室がある。  初代の塾長が「自分と向き合う学びの場」を作りたい、一心で設立。そのため、様々な分野を自由に学べる。わたしは受験勉強のためだけど、受験対策だけでなく、将来何をしたいのかに合わせた授業もある。例えば今日の英語の授業は受験対策クラスだけど、将来海外に行きたい、と思っているので日常会話クラスも受けている。教科ごとに細かく勉強できる。  授業方針も「人に教えられるようになるまで」が目標で暗記すればいいテストだけはなく、相手に説明して理解するかどうかをみている。仕組みがわかれば臨機応変に対応できるようになる。当たり前のようなことだけど、考え方がわたしの中で根付いてなかったのを実感している。中高一貫の塾で、高校受験も大学受験もここに通い続ける人が多いし、名門学校に入学している人が多い。他にもいいところは他校との交流があること。今日みたいに、他校の白井さんが隣に座ることがある。そこで友達も増えたりしたけど、白井さんのような私立に通う女の子とはまだちゃんと話せない。  英語の授業が終わり、隣の白井さんは机の上を片付けて鞄に入れていた。わたしは横目で見るのを止めて、片付け始めた。その時だった。  「北村さん、ごめん、ちょっと時間ある?」  わたしは今日のプリントを半分に折っている手を止めた。  ――白井さんがわたしに話をかけている?  わたしはゆっくりと隣を見た。確かにこっちを見ている。  「北村さんってアリスのお茶会に参加している?」  わたしは目を見開いた。  「……あの、アリスのお茶会?」  「うん、今ねメンバーが三人で、あと一人誰かいないかなって探してたの。まあ、たしかにルイス・キャロル作の『不思議の国のアリス』では『気違いのティー・パーティー』って言うのが正しいのだけど、こっちの方が恋バナって感じだよね」 「…わたしでいいの?」 「もちろん! あ、今集まっているメンバーも他校の子たちだし。それでもいいかな?」 「ありがとう! わたし、参加してみたかったの」 「よかった。ところでLINEしてる? 交換しよ。あと、申し込みはわたしがやるから通れば連絡するね」 「LINEしてるよ。待ってスマホ出す」 スマホを取り出してLINEを交換している間、わたしはアリスのお茶会のことで頭がいっぱいだった。  「アリスのお茶会」――食堂にあるテラス席に月に一度、日曜日の午後三時集まる同い年の女子が集まってそれぞれの席のメンバーでお互いの恋愛話をすること。  塾へは読書会として使用の申請を出している。恐らく塾の運営側にも感づかれているとは思われるけど、食堂の窓ガラス越しに見る頬を赤く染めながら楽しそうに話していることから、目をつぶっているのかもしれない。もちろん、終わった後はゴミを拾い、テーブルも椅子も綺麗にしてから解散する。    まず、このアリスのお茶会に参加するのはいくつのルールがある。 ・必ず思い人がいること ・参加は同い年の四人で一組が厳守。 ・メンバーが一人休みの場合、その月の参加は認めない。 ・ティーカップは忘れずに持参する。 ・かならず告白まですること ・メンバー全員が告白までして結果問わず、継続は可能。 ・メンバー内の秘密は守ること  わたしは、塾の帰り道にぼんやりと学校の隣の席の雪川 響きくんのことを思い浮かべていた。  雪川くんの手があまりにきれいで横目でつい見てしまう。大人しい男子だけど、ギターをやっているらしく、演奏している姿を想像するだけで体が火照ってしまう。――ただ、こんな話を学校の友達と話すのは気が引けた。しかも同じクラスで、友達が軽はずみで話してしまったらもう学校へは行けない。そのこともあり、わたしはアリスのお茶会は心を躍らせた。    次の週の火曜日、白井さんからLINEが着た。無事にアリスのお茶会に参加できるとあり、安堵のため息が出た。お礼をLINEで送ろうとしたら先にグループLINEの招待が着た。  グループ名が「白雪@アリスのお茶会」と書いてあった。――噂通り、これもテーブルの名前が決まっている。つまり、わたしのテーブルのこと。わたしはすぐに参加し、他のメンバーの名前を見た。  一人は「中川 美南」。フルネームで書かれている。アイコンは白い犬。飼っている犬なのかな。  もう一人は「ナツ」。多分、あだ名。でも、アイコンには二人の女子の写真があってディズニーに行った時らしく、ミッキーの耳を付けている。  わたしは日曜日のことで気持ちが膨れ上がり、足取り軽く帰った。  日曜日、こんなにわくわくして塾に向かうなんて思わなかった。  グループLINEでは二人は感じの良さそうだった。塾の食堂に向かうとたくさんの女子が集まっていた。わたしは見とれていると肩を叩かれた。  「北村さん、こんにちは」  白井さんだ。わたしは口元を緩めると、後ろに二人がいるのに気が付いた。  「こんにちは、あの…この子たちが…」  わたしが言いかけたタイミングで白井さんが止めた。  「もう席に着かないと、この会は先生みたいに何でも指示を出す人がいないの、自己紹介は席で」  わたしは頷くと、みんなと白井さんについて行った。  わたし達は席に着くと、鞄からそれぞれのティーカップとソーサーを出した。わたしのはお母さんと昨日買い物に行った時に雑貨屋で買ってもらった小さいスミレが描かれたデザインのもの。バラではわたしには華やかすぎると思ったので、シンプルなものを選んだ。このお茶会では実際にお茶をいれて飲んでもいいけど、ほとんどは座席表の役割になる。そのことも考えて自分らしいものを選んだ。  「北村さん。遮っちゃてごめんね。この会は可愛らしイメージがあると思うけど、ルールが細かいの。でも、みんなで楽しい会にしたいし、それでは自己紹介からするね」  白井さんはわたし達を集めたから、まとめ役をしてくれているらしくてわたしは肩の力が抜けた。白井さんのティーカップは白く底の浅いもので、模様はないけど、カップの淵と持ち手、ソーサーの淵にも金色が輝いていた。ヨーロッパの貴族みたいな、大人っぽさがあった。  「では、わたしから白井(しらい) 優香(ゆうか)です。この塾には中一から通ってます。海外旅行に憧れていて英語をメインに授業を受けています。よろしくお願いします。」  「あ、結構固い感じで行くんですね。」  最初に口を開いたのはパステルグリーンで縦に白い線が入ったティーカップの女の子だった。  「わたし、てっきり恋愛話から入るかと思ってた。……えっと、池澤(いけざわ) 夏子(なつこ)。ナツって呼んでね。今、親友と同じ人を好きになってて、なんだか親友がもう付き合っているって噂を聞いています。目標は略奪することです。よろしく」 わたしは思わず、目を見開いた。ふと隣からくすくす笑う声が聞こえた。その子のティーカップは紅色のバラが描かれた女の子らしいものだった。 「…ごめんなさい。ざっくり来たので驚いて、笑っちゃった。わたし、中川(なかがわ) 美南(みなみ)です。わたしはクラスでスポーツ万能な人気者に恋してます。よろしくお願いします。」 中川さんが言い終わると自然とわたしに視線が来た。  「……えっと、北村(きたむら) ほのかです。わたしは、隣の席の雪川くんが好きで、でも、同じクラスの友達に話すのが恥ずかしくて、こう言う会で話せて良かったと思ってます。」  「え! 隣の席って毎日がドキドキするじゃん! いいなぁ。」  と言うのはナツと言う子。わたしは頬が熱くなった。  「好きになってから隣に? 隣になってから好きに?」  「…隣になってから、だな」  「わかる。近くにいるから気付くカッコよさ。」  「ちょっとそこ、盛り上がり過ぎ! まだ優香ちゃんの聞けてないじゃん!」  わたしとナツはぱっと白井さんの方を見た。白井さんは少し頬を赤くしていた。  「……わたしは学校の先生が好きなの」  白井さんの声はあんまり大きくなかったけど、わたし達にはしっかりと届いた。  「……わあ、ドラマみたい! わたしなんて、なんかありきたりだし…」  中川 美南と言う子が肩を落としながら言った。その様子を見て白井さんが目を少し開いた。  「そんなことないよ! ……わたし、私立の女子中だからこんな話したらあっという間にいじめの対象になるし……怖くて、この会にみんなを誘ったの。自分勝手な理由でごめんね。でも、どうしても話したくて」  「まあ、わたしも学校で話したらみんなから冷たい目で見られそうだしね……」  と言うのはナツ。略奪は確かに穏やかではない。  「……わたしもクラスの人気者が好きだなんて、簡単に言えないなあ。恋するライバル多いし。」  中川さんがため息交じりに言う。  「意外と簡単に話せないんだよね」  とナツが言う。  「中川さんは…」  とわたしが言いかけると、中川さんは遮った。  「美南でいいよ。」  「……わかった。美南もドラマみたいな恋だなって思ったの」  「……まあ、みんなの影響もあるんだけど、もしわたしを選んでくれたら、その人の一番になれたら幸せだなって」  「わかる。好きになるのはいろいろあるけど、結局は、その人の一番になりたいんだよね」  ナツが言うと、横目で白井さんを見た。  「白井さんの話も聞きたいな」  白井さんはにっこり笑った。  「優香でいいよ……わたしは中二の時の英語の先生。今も担当なんだけど、声を聞いているだけで安心するし、はにかんだ笑顔がすごく好き」  わたしは白井さんの表情を見て、恋する女子だな、と思った。  ここで終了の時間が来た。わたし達は回りに合わせてすぐに清掃と片付けをして家に帰った。帰りもまた集まらず、すぐに解散するものルールだった。  毎月のアリスのお茶会で、わたし達は自分たちの恋愛を言葉にして伝えあった。でも、わたし達の恋愛は発展がなくこれでいいのかと思い始めた冬休み明けのアリスのお茶会までにわたしはそれぞれひとりずつ呼ばれた。最初に呼んだのは美南だった。  待ち合わせはファーストフードのお店だった。わたし達は飲み物だけ買い、席に座った。美南は明るい性格ではあるけど比較的自虐することもある。それでいてナツよりもはっきりと意見を言うことも多く、推薦で高校をもう決めていたのは面接に強いのだと思う。  「ほのか、突然呼んでごめんね。」  「ううん、毎日勉強ばかりだと病むし」  「……こんな状況に言うことではないのだけど、わたし、本当は好きな人なんていなかったの」  「え? なんで? だって、アリスのお茶会は好きな人がいないとだめだってルールが」  「ルールを破ったら、って言う罰は書いてなかったでしょ? でもね、話した内容は嘘じゃないよ。二学期の修了式に告白するって話。あれは本当にしたの。そしたらね、OKもらったの。瞬間的には喜んだの。でもね、つまんなくなった。手に入れた瞬間飽きちゃったの。実はわたし勢いは結構飽きっぽくて、今度会う時に別れるの。このままみんなに嘘をつくくらいなら一番話しやすかったほのかに話したかったの。」  ここまで美南が話すと、口を閉ざした。  「……わかった。好きな人がいなかったってことは黙っておく。そうして欲しいんでしょ?」  「……流石、ほのか。わかってくれた」  わたし達はお互い笑った。その後は、冬休みの話をして一時間もいないで帰った。  次にわたしを呼んだのはナツだった。カラオケに誘って来た。お互い塾に行く前に約束して、待ち合わせをした。ナツの表情からはいつもの明るさがなく、とても歌いたい顔ではなかった。でも、すぐに口を開いた。  「……ほのか、わたし、略奪したくて告白したの。例の男子に」  わたしは「例の男子」と言う言葉に引っかかった。だけど、黙って聞いた。  「そしたらね、突然抱きしめてきて、『ナツもしてくれるの?』って、その、エッチなことを……ってことなんだけど、わたし、その瞬間、背筋が凍るようになって、振り切って逃げたの。」  ナツはここまで言うとぽろぽろと涙を流した。  「わたし、好きな人だと思ってたけど、拒絶しちゃって、気持ち悪いって思った。わたし、こんな思いをするなんて思わなかった」  「ナツ……それは本当に好きな人じゃなかったんだよ。付き合わなくてよかったよ」  「それじゃあ、親友はどうなの?」  「……その子はどうなのかわかんないけど、その人だけの恋じゃないから……今は辛いと思うけど」  ナツは鼻をすすって笑顔を見せた。  「……話してすっきりした。ほのかに話せて良かった。……やっぱり優しいね。」  「高校でいい人と出会えるよ」  「よし! 勉強やる気出た―!」  わたし達は一緒に笑った。時間がきたのでカラオケ店を後にして塾へ向かった。  今年最初のアリスのお茶会の前日、わたしは優香と会った。いつものお茶会が行われる食堂のあるテラス。夕方で息が白く、手が凍りそうだった。  「……こんなところでごめんね」  「……こんなに人がいないところじゃないと話したくなかったでしょ?」  優香は笑った。優香は出会った時よりも髪が伸びた。今日は束ねてなくて、大人っぽく見える。  「……受験の関係で明日が今年度最後のアリスのお茶会。わたし達の十五歳の思い出になるのね。……あのね、今日、呼んだのは……ほのかだから話そうと思ったの。ほのかは約束を守ってくれそうだったから…」  「優香はどうして、そう思うの?……先に教えてほしい」  「……ほのかも秘密を持っているから、守ってくれそうだなって」  わたしは息を飲んだ。  「わたし、知ってたの。雪川くんと夏頃には付き合ってたんでしょ? 偶然、見かけたの。男子と一緒に楽しそうに話しててあの人だなって」  「……そうだよ。夏祭りに会って、二人っきりだったから思い切って告白したの。自分でもびっくりした。思い切ったことをしたなって思う。けど、ナツと美南がまだ告白してなかったからわたしは黙っておこうと思ったの」  「……ありがとう、話してくれて。じゃあ、わたしも話ね。わたし、その先生……木村 智也<きむら ともや>って言うんだけど、智也とはもう一年以上付き合ってて、わたしが十六歳になったら結婚するの。」 優香は笑った。わたしはじっと優香を見ているしかできなかった。  「だって、わたし達って心が子どもなだけで、もう体は大人なんだもん。わたしは智也と長く人生を歩みたい。高校にはいかないけど、通信制の高校もあるし、なんとかなると思う。わたし、片親だし、デザイナーやっているから生き方の自由は理解してもらっている。お互い自由に生きていれば幸せだって。……こんな話、学校でしたら智也も白い目で見られる。それだけは守りたかった。……こうやって話すのって素敵なことね。だって、こんなに心が晴れやかになるとは思わなかった。……本心を言うのって本当に怖い。何が起こるかわからないんだもん」  「……卒業式終わったら、このお茶会を辞めよう。わたしはこの塾も辞める。これは優香が知らなかったことだと思うけど、わたし、優香に英語の成績負けたくないって知り合った時から思っていた。英語だけはずっと頑張って来たんだもん。だけど、そんなこと言われたら、すっごくがっかりした。勝手に結婚して子どもでも作ればいいじゃない。こんな話をしたくてこの塾にいたなら、あんたは一番の大嘘つきだよ。」  わたしは息を荒げていた。優香は涙を流した。  「……どうして、そんなことを言うの?」  「わたし達は……秘密は持っていたけど、嘘はつかなかった、ただそれだけよ」  次の日は不参加でわたし達のアリスのお茶会はもう開かれることはなかった。  わたしは無事に高校受験を終え、高校時代はホームステイに行く機会に恵まれ、英語をより学び、大学も英文科に進学した。  英語のスキルはホテルでの仕事で活かした。部署が違うが時折見かけるホテルでの結婚式の様子を見かける度に優香のことを思い出した。  あの子も結婚して幸せになれたのだろうか?
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