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14.一刻千秋
水晶宮は、全体としてみればとても大きな敷地内に存在している。
手前から、客間と使用人たちの館。儀式を行う間。
その奥に大きな池と四季折々を楽しむ庭があり、渡殿を通って侍女たちの居住室がいくつかあり、多くの客間をさらに超えた先ではないと、黎華の住まう奥の宮まではたどり着けないように綿密な造りとなっているのだ。
「…………」
その水晶宮の主である黎華はというと、体調を崩し気味で室の奥の間で臥せっているところだった。
花丹が尽きかけているというわけではなく、どうやら風邪をひいたらしい。
元々、体にかかる負担のせいで彼は一年の半分を臥せっていることが多い。そう言った理由からも、体調を崩しやすいのだ。
「……、……」
パシャン、と水桶から雫が跳ねる音がした。
熱を出しているので、意識がもうろうとしている。瞼が重く上げることが出来ない。
少し前まで侍女が傍にいたと思ったのだが、今は別の気配が傍にいると感じた。その気配が、黙ったままで額に置かれた布を取り換えてくれることだけはわかる。だがやはり、視界で捉えることは出来なかった。
「……苦しいですか」
「すこし……。熱は、わりと……いつものこと、だけど……」
問いかけに対して、言葉を出せたことが不思議だった。
気配はやはりいつもの侍女ではなく、聴いたことのない男の声だった。
ここには簡単に入れないはずだが、なぜその者はいるのだろう。
「……尹馨さま……?」
黎華は思わず、そう問いかけてしまった。
「…………」
彼の問いには、答えてもらえなかった。
かわりに、額にひやりとした感覚が戻ってくる。
その冷たさに気持ちよさを感じていると、上掛けから出したままだった右手を取られた。
手首の内側に当てられるのは知らぬ男の指だ。
おそらく、脈拍を見てくれているのだろうと黎華は思った。
「……今晩だけ、耐えなさい。明日には体も楽になるはずです」
「…………」
黎華は何かを告げる為に口を開いた。だが、言葉にはならなかった。
男の声が優しく静かで、それだけで怪しさを疑う心は生まれなく、彼は素直に頷いていた。
直後に、意識がゆっくりと遠のいていく感覚を得る。
(誰、なんだろう……。尹馨、だったら……いいのにな……)
心でゆるくそう思った。
だからなのか、黎華は普段から思っている本音を、漏らしてしまった。
「嘘つき、……尹馨……全然、会いに来てくれな……」
途切れがちな言葉を零した後、その数秒後には、黎華は眠りへと落ちていった。
「尹、馨……」
途切れる意識と共に、唇から零れ落ちる名を『その者』は黙ったままで聞いていた。
しばらく黎華の寝顔を見つめて、言葉なく彼の頬を優しく撫でてやる。そうして、その手を僅かに浮かせたまま、顎、首……腹の上へと手のひらを持っていく。
「――――」
何かの言葉を呟いていた。
それは、人語のそれでは無かったように思える。
黎華の体の上で彼の手のひらが一瞬だけ光り、その光を押し込むようにし手のひらは黎華の腹の上にふわりと置かれた。眠っている彼を起こさないように、慎重に、丁寧に。
「…………」
一呼吸の後、男は言葉ないまま、ゆっくりと手を引いて立ち上がる。
真っ白な衣服を身に纏った銀糸の彼は、寝台の傍にある卓の上に小さな巾着と文を添えて、その場を離れていった。
その間、周囲は静まり返り誰もその男の姿や声、行いを目に留めたものはいなかった。
「泣き暮らしてるわけじゃないが……やっぱ明らかに弱ってんな、姫さん」
「……そのための私たちです。繋ぐ事しか出来ませんが、彼が戻るまではこうして見てあげたほうがいいでしょう」
「お互いにうまく一目ぼれしてくれたのは良かったけどなぁ、障害ありすぎだろこの二人」
「そうですね……」
そんな会話をするのは、二人の男だった。
尹馨が居ない間、誰にも知られることもなく黎華を守っているのは彼らなのだ。
――歴代の『姫』は、皆それぞれに不幸だった。
だがそれ以上に、今代の姫は自身で運命を選択してしまったとはいえ、代償が大きすぎた。
男であること、花丹の自己精製が難しいこと――『女』として生きなくてはならないこと。
「彼は……知っていたんでしょうか」
「何を?」
「……自ら犠牲になるほうが、苦しいことを」
「どうなんだろうな。でも……良かれと思って選択したことがそもそも過ちだったって事を、誰も教えられなかったって事のほうが、俺は問題だと思うけどな」
人の事情は歴史の事情にも繋がる。
黎華には支える両親が『あの頃』には既におらず、判断も自らのみでしか出来なかった。
今更思っても仕方のない事だが、せめてもう少し遡って知り合っていれたらとその二人は言葉にせずとも同じことを考えていた。
「……まぁ、俺らは俺らで出来ることをしていこうぜ」
「では、この後も手筈どおりに」
二人はそんな会話を交わした後、個々に散って行った。
それは、沈梓昊と沈英雪の二人の影であった。
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