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「かっちゃん!!」
虚ろに瞳を開くと、一葉を見下ろす桜太の不安そうな顔があった。
何度か瞬きを繰り返して状況を把握する。今日は日曜で大学が休みで……こいつが俺の部屋に上がりこんでいるということは……。
「うなされてた」
短く呟くと、桜太は窓へ目をやった。
レースカーテン越しの外は暗く、スマホが表示する時刻にしてはずいぶんと陽が落ちるのが早い。
微かに耳をつく音に、ようやく合点がいく。
「雨、か」
「うん。ついさっき降り出した。ここに到着してすぐ後。さすが、俺。行いのよさが表れ
てるだろ?」
薄闇に包まれた部屋に、見慣れた笑顔が灯される。
枕に頭を埋めたまま、ほ、と息をつく一葉を認めると、桜太はきびきびと立ち上がり、台所へと姿を消した。
「相変わらず、殺風景な部屋だねえ。こんな空間で一日ごろごろしてるから、真野くんは植物みたい、とか、光合成してそう、とか言われるんだよ。ちゃんと御飯、食べてんの?」
「テキトー」
抑揚をつけずに答えてごろりと横を向く。
「なに、あの態度。ちょっと顔がいいからって」――女の子たちに決まって不評を買う一葉の物言いにも桜太は動じない。鼻歌まじりに冷蔵庫を開けている。
「差し入れ、置いとくよー。茄子とピーマンの味噌炒めに、人参の金平、メインは酢鶏。母さんが野菜もちゃんと食えってさ」
「ありがとー」
もう一度、単調に返すと、再び重くなった瞼を閉じる。
おばさんの酢鶏は大好物だ。高校時代に父が再婚してから、桜太の家に遊びに行く機会が増えた。よく夕食に誘ってくれた彼の母親は看護師であり、息子と同じく明るいしっかり者で、食卓には笑いが絶えなかった。
夫に仕えることに疲れ果てて、自由を求めて旅立った一葉の母とは似てもつかない。
――母さん……。
まどろみに浮かぶ母の姿はあの日のままだ。
……だめだ。思い出しては、いけない。
赤色がちかちかと脳裏に点滅し始める。
窓の外で、雨が強まっていく。
忍び寄る気配が体に纏わり、徐々に動きを封じられる。ざ、と風が強弱をつけて飛沫を跳ね上げる音が大きくなった。
――大丈夫だ。
ざわつき始めた心に言い聞かせる。
今は、大丈夫。
雨が降ろうと、あの日を思い出そうと……。
桜太がいるのだから。
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