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翌日から、桜太の襲撃が始まった。
「かっちゃん!!」
学校でも、家でも、はちきれんばかりの笑顔で呼びかけられる。
クラスのリーダーの影響力は大きく、一葉は四年生が終わる頃には級友全員から「かっちゃん」と呼ばれるようになっていた。
一葉は、変わった。
桜太に導かれるままに、見下していた級友たちとの輪に加わり、ぎこちなくも遊びに興じる術を身につけた。家で両親から享受される教養や洗練さとは大違いの子どもの世界は時に乱暴で荒々しく、全身が昂揚するような馬鹿馬鹿しさと笑いに満ちていた。
桜太は、変わらなかった。
両親が離婚し、再び家に閉じこもるようになった一葉を「そっと見守る」なんてことはせずに、堂々と遊びへと誘いに来た。
家政婦に頼んで追い返していたが、ある日、家の前で待ち構えていた桜太と鉢合わせてしまった。
降参寸前の気分に陥り天を仰ぐと、どんよりとした灰色の雲が映りこんだ。頬に水滴が落ちた、と思う間もなく、ぽつぽつと雨が降り始めた。
「わ、やべ」
慌てて腕をかざす桜太の姿が白く霞んでいく。さああ、と世界を一転させる雨音に、刻みつけられた傷が疼き出した。
――母さん。
あの日、一葉は母に呼びかけた。
玄関のドアノブに手を置いた母にじっと見据えられて、全身から思いが溢れるのを感じていた。だが、どうしても言葉にはできない。
たぶん……手遅れ、なんだ。
十歳は十歳なりに、目の前で起きていることを正しく受け入れていた。
――今度は……いつ、会えるの?
問いかけの形をとった願望は尻すぼまりとなって、二人の間にぽつりと落ちる。
瞬きを忘れた一葉の目に、真っ赤なルージュで縁取られた母の唇がスローモーションのように動いた。
――もう二度と、会えないわ。
母が言い終えると同時に、雨の音が耳に飛びこんできた。開かれたドアの向こうには、降りしきる雨でぼんやり霞んだ景色が見える。
靴下のまま玄関に降りた一葉に繰り出せる言葉はもうなかった。
行かないで。
渾身の想いが体内で行き場を失い、うねり狂う。気配となって伝わったのだろう。一歩を踏み出そうとした母は、ドアを突き飛ばすようにして再び直った。
伸ばされた両腕はしかし、一葉を抱きしめはしなかった。
――さよなら、一葉。
力なく下ろされた腕とは裏腹に、母の声は冷徹に、容赦なく、振り落とされた。呆然と開かれた瞳に、くるりと背を向けた母が迷いを振り払うように強くドアを押すのが映った。
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