涙街四番通りに彼女はいた

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 昔から空の絵を描くのが好きだった。空はいつも同じようでいて、実際は同じ顔を見せる日なんて一度もない。絵筆を取るたびに、私は空をよく知っているようで本当はなにも知らないのだと思い知らされた。  底の抜けたような真っ青な夏の空も、色ガラスの破片を散りばめた夜空も、血の色みたいな茜色の夕焼けも、墨を乱雑にかきまわした恐ろしい雷雲も、私はなにも知らない。絵の具はいつもその時に合った色を自分で調合して作り出した。一心不乱にいま見ている空を描いて、いつか私は空の画家と呼ばれるようになった。  この喫茶店は彼に教えてもらった。さほど広くもないし気の利いた小物も置いていないが、木を基調とした店内の雰囲気はレトロで趣きがある。今時タングステンの電球なんてめったにお目にかかれないだろう。  隅には古臭いレコード再生機が置いてあったが、あいにく今はジャズもクラシックも流れていない。木枠の窓から外を覗けば、車軸などより更に太い雨がザァザァと降り注いていて通りの向こう側すらはっきりと目視することができなかった。  昨日からずっと降っていた雨は、まるで終わりが見えない。 「ここは涙街って呼ばれていてね」  はァ、と私が曖昧に返事をすると聞いてもいないのに女店主は説明し始めた。他に客がいなくてヒマなのだろう。  私以外しばらく客がいなかったのではないか、なんとなくだがそう思った。 「この街に降る雨は誰かの流した涙なんだよ。だから、途切れることがないの。世界で誰も泣かない日なんて存在しないでしょう?」  そうですね、と適当に相槌を打ち透明なグラスを傾けた。私の飲んでいる水色の涙ソーダはほんの少しだけだがしょっぱい。飲み物は全て雨水で作られているそうだから、涙の味がするのだろう。
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