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第5章 アキト VS ゴウ
「そこにいつまでも居られると、他のお客様の迷惑になるのよ。地下室を開けるから、お宝屋面白劇場はそこでやってよね。・・・いいわね?」
店先で沙羅から迫力を増した声で宣告された。
アキトたち4人は仲良く声を揃えて「・・・はい」と答えるしかなかった。
それ以外の回答が許されないのは、沙羅の顔を見れば明らかだった。
彼女と共にアキトはエレベーターで喫茶店”サラ”の地下に移動する。お宝屋3兄弟も黙ってついてくる。
エレベーターから降り廊下に出ると、何故かゴウが先頭にたって歩き出した。
度々利用してきた勝手知ったる地下室だというのは想像できる。ただゴウから、軽薄と単純、豪胆さが混ざった何とも表現しようのない気配が漂ってきている。
イヤな予感がする。悪いことしか起こりえないと断言できる。
ドアの前を二つ通りすぎた時、沙羅がゴウに声をかける。
「ゴウ君、そっちじゃないわよ」
振り返り様にゴウが答える。
「いいや、向こうだ。格技場を使わせて貰うぞ」
視線をアキトに移し、暴論を吐く。
「ふっはっはっははーーー。アキトよ。男同士、拳で語り合おうじゃないか? ああん?」
「意味わかんねーぜ」
「そうだな。俺が負けたら、もうお宝屋に戻れとは言わない。だが貴様が負けたら、大人しくお宝屋に戻るんだ」
話を訊けと言いかけたが、叫ぼうとしていた口を閉じる。
このままでは何も変わらない。何も変わらないということは、お宝屋に付き纏われトレジャーハンティングを邪魔され続けるということだ。
勝てるなら勝負を受けるべきだろう。
そう、オレには勝算がある。
ゴウは、オレが格闘技を習っていたのを知らない。
「いいぜ。相手になるぜ」
「アキトよ。後悔しても知らんぞ」
「ゴウ、オレと闘いたいのか、闘いたくないのか、どっちなんだ?」
ゴウはオレの話を聞かず格技場へと歩きだし、好き勝手なことを言い始める。
「ふっはっはっははーーー。腕がなるぞ。楽しもうじゃないか。そうだ、アキトが戻るなら、レーザービームをもう一門装備してもいいなー」
「ちょっと、ゴウにぃ。大口径は無理だからね。いくらアキトくんが望んでもダメなの! 予算内に収めるないと、来年困ることになるの!」
オレの話は聞かないのに妹の話は聞くのか・・・
千沙の話なら聞くしかないな、とも納得しかけている。
「それは、アキトも含めて後で相談すれば良いさ。だけどゴウ兄、僕はオリビーを大きいのにすべきだと思うよ。アキトもそう考えるに決まってるしね」
3人の会話に色々と突っ込みたい。オレはレーザービーム砲を欲しがっていない。そもそもトレジャーハンティングにレーザービーム砲自体が不必要だ。
3人の妄想は留まるところを知らず、様々な方向へと話を広げている。
仲良しお宝屋3兄弟のまとまらない会話に口を挟むのも面倒なので、アキトは肩の関節を伸ばしたり、手首を捻ったりとアップしながら歩く。
廊下の突き当りにある大扉に沙羅が軽く触れると、音もなく左右に開いた。
地下格技場は天井が高く、バスケットボールの公式試合ができるぐらいの広さがある。床は磨き上げられ、程良い弾力がある板で設えてある。
なぜ、喫茶店に幾つもの地下室があるのか?
なぜ、情報屋が格技場を持つ必要があるのか?
まったく想像もつかない。だが今は、目前に迫った闘いに集中すべきだ。
ゴウ達とは反対の壁側に陣取り、アキトは鞄を置き上着を脱ぎ捨て、ルーラーリングを外し、スペースアンダーのみとなる。
柔軟を始めると、アキトは柔らかく均整のとれた体に、しなやかな筋肉を持っているのが、スペースアンダーの上からでもわかる。
ゴウは格技場の端から端までダッシュをしていた。何本か終えたところで、歩いて息を整えている。最初から全力で闘うために体を暖めたようだ。
ゴウとは何度も手合わせをしている。当然ゴウの手の内は把握している。逆にゴウはアキトの手の内を知らない。アキトはゴウから技を教わっていただけで、自分の技をみせていないかったのだ。
今まで、一度もゴウに勝ったことはなかった。
それはそうだろう。
ゴウに教わっている技で勝てないのは当然だ。
だが、今回は練習ではない。
自分の技でもって、オレはゴウに勝利する。
自信を胸に、アキトは格技場の中央に堂々と歩を進めた。
ゴウは、ゆっくりとアキトの元へと歩きだそうとした時、翔太がゴウにアドバイスをする。
「そうそう、ゴウ兄。アキトは、なんとかっていう空手流派の黒帯でね。下段上段の回し蹴りと、相手の突進を止める中段前蹴り、それに横蹴りが得意だよ。あと接近戦では膝蹴りも使ってたね」
「おお、そうなのか」
そう、翔太は同じ学校で3年間一緒に過ごした同級生で、一番長い時間を過ごした友人だ。そして、アキトの特技を翔太は良く知っている。
だが、まだ有利だ。
初見の技を見切るのは難しい。
なにより、見せたことのない技は空手だけじゃない。
ゴウの右ストレートにタイミングを合わせて繰り出せる技がある。そして、そのタイミングは体で覚えている。
再度ゴウが歩き始めると、千沙が茶色のブルゾンの襟首を掴んで止めた。
「ゴウにぃ」
千沙は大人しくて言動は弱気だが、ときに大胆で強引な行動をとることがある。今もそうなのだが、襟首を掴んだことでゴウの首が絞まっていて苦しそうにもがいている。
「上半身は裸になって、ね。アキトくんは、柔道でアカタテハ星域地区の中量級の優勝者なの。えーっとね。得意技は左右どちらでも出せる内股と~。あと右組手の連絡技が凄くて、大内刈り、内股、払い腰、小内掛けと4つの技を連絡できるの。でも内股か払い腰のあたりで相手を投げちゃうの。それから~。寝技はあまり使わなくて、間接技と絞め技を良く使ってた。大会では何人かが絞め落していたよ。ちなみに、お宝屋から離れていた3ヶ月間に昇段審査にいってなければ、まだ二段のはずなの」
嬉しそうに千沙が語るのを難しい表情でゴウは聞いていた。そして腕組みし、偉そうな口調で言う。
「ふむ、良く理解できたぞ。アキトは性格が悪くて秘密主義だということだな・・・。千沙、上着を持っててくれ。それにしても、アキトは俺とのスパークリングで、一度たりとも空手や柔道の技を使ったことはない。世の中を斜に構えて見る癖もあるしな。どれ、すこし性根を鍛えなおし、性格を矯正してやろう」
なんで空手と柔道の技を使ったことないだけで、そこまで悪し様に言われなくきゃならんのか? が、しかし、問題はそれよりも千沙だ。
「・・・千沙。なんで、そんなに細かく知ってんだ?」
「大会には必ず応援に行ってたの・・・。でも、ミーハーなファンに思われたくなくて黙ってたの・・・。卒業したら、一緒にお宝屋で働けるって聞いてたし・・・。それとね・・・戦っていたアキトくん、カッコよかったよ・・・」
頬を真っ赤にし、両手で顔を隠した千沙は本当に恥ずかしそうだった。
千沙と翔太は双子で、千沙とも同級生だった。だから、ある程度自分のことを知っていてもおかしくないと納得していたが、それがストーカー気質からきていたとは知らなかった。
千沙のことは嫌いじゃないが、色々な意味で一緒の船に乗っていてはいけないと、アキトは誓いを新たにする。
そこに、緊張感のまったく感じられない口調で、沙羅がルールを説明しはじめる。
「そろそろ、いいわね。これからゴウ君対アキト君の拳での語り合いを始めます。ルールはいつもの喫茶店サラ方式を採用するわね。要するに、勝敗は降参か気絶などで戦闘不能となった場合だわ。それと危険と判断した場合には試合を止め、私が勝敗を宣告します。もちろん公正に判定を下しますから安心してね」
喫茶店サラ方式って何だよっとの考えが頭を過るが、目の前の戦いに集中することにする。
アキトとゴウは格技場の中央で5メートル離れて対峙した。2人とも自然体で構えをとっていないが、緊張感が漂っている。
沙羅と翔太、千沙は壁際に並んで2人を見つめている。
そのまま1分ほど時が流れた。
4人が沙羅に視線を集める。
沙羅はヘーゼルの瞳を揺らし、キョトンした表情をみせたあと、皆の視線の意味に気づき長い黒髪を弄りながら平然とした口調で言う。
「あら、はじめていいわよ」
沙羅の言葉に、場の緊張感が霧散しそうになり、対峙している2人が脱力しそうになる。
しかし何とか持ち直す。
アキトとゴウ、2人の間の空気が重く、圧力を増していく。
翔太と沙羅、2人の間には賭けが成立していた。
翔太はアキトの勝ちに、沙羅はゴウの勝ちに・・・。
先に沙羅がゴウの勝利に賭けた・・・訳ではなかった。先に翔太がアキトに賭けたのだ。
「アキト君にお宝屋に戻ってきて欲しいなら、翔太君はゴウ君に賭けるべきよね?」
沙羅の質問への翔太の答えは単純明快である。
「いやいや、心情と賭けは別物だよ。損はしたくないからさ」
翔太から冷静な視線を、千沙から熱い視線が、アキトに注がれている。
一人の少女からは心情的に揺れ動く応援と、一人の女性から打算的な応援と、一人の男性からどっちが勝っても損がないという理由の関心の薄い応援を背に、ゴウは床をけった。
5メートルの距離が一瞬して縮まる。
182センチの筋骨隆々の体格から迫るプレッシャーは半端でなく、その位置での迎撃は無謀。アキトは後ろへと跳躍しつつ、牽制を兼ねた右中段前蹴りを放つ。
ジャンプした分アキトの右脚は高い位置への攻撃になる。ゴウの喉元へと迫る蹴りがまともに命中すれば、一撃でKOできる。
咄嗟にアームブロックを十字ブロックに変更し、ゴウはアキトの蹴りに初見にも関わらず防いだ。
ゴウの格闘スタイルはボクシングで、ジムに通っていた当時、プロにならないかと誘いがきたほどだ。しかし、トレジャーハンターになった際の護身術としてボクシングを習っていただけで、ゴウの目的はブレなかった。
ゴウは体を小刻みに揺らしながら、アキトに的を絞らせずフェイントを織り交ぜて迫る。
アキトは左右どちらかにステップしてから下段回し蹴り、または後ろに跳躍して中段前蹴りで、ゴウの突進を止める。
十数度に渡り同じ攻防が繰り返された。
不利なのは明らかにゴウだった。
下段回し蹴りはゴウの脛、膝にヒットし、中段前蹴りは腕にダメージを蓄積させていた。
「思ったより実力差があったのね」
沙羅の呟きに千沙は泣きそうな顔で反応し、翔太は言葉で反応した。
「いやいや、そうでもないさ。ゴウ兄はアキトの攻撃を全部防御していて、アキトは自分から攻撃できないでいる」
「攻撃できない?」
「アキトは、自分からは一度も攻撃していないんだよね。ゴウ兄に受け切られたり、躱されたりしたら、自分が攻撃されるからさ。ゴウ兄の攻撃の回転は速いから一度巻き込まれると簡単には抜け出せない。アキトには相当プレッシャーがかかっているだろうさ」
翔太の分析通りだった。
アキトはゴウにタイミングを合わされ、しかも攻撃を見切られつつある。
ゴウはアキトの下段回し蹴りには脚を上げ脛で防御し、中段前蹴りは脚を伸ばしきる前に十字ブロックでガードする。
そして、遂にアキトの攻撃が見切られる。
ゴウの突進をアキトは左下段回し蹴りで迎撃したが、ゴウの右足は、鋭く速い踏み込みでアキトの蹴りの威力を殺す。次の瞬間、ゴウのアッパー気味の右ボディーブローがアキトの左脇腹に突き刺さる。
苦悶の表情を浮かべるアキトへ、畳みかけるように左右のフックをボディーに放つ。左フックをアキトは腕でブロックしたが、右フックはボディーの同じ場所に会心の一撃があたる。
千沙は悲鳴をあげてから、小さく呟く。
「・・・痛そうだよ~」
ゴウが、とどめとばかりにアキトの顎へ左アッパーを放つ。
ヒットしていたら間違いなく決定的な一撃となっただろうがボディーと違い、顔へのパンチは避け易い。アキトは顔を捻って躱し、バックステップでゴウとの距離をとる。
逃がすまいと、ゴウは距離を詰めるようにダッシュする。
アキトは右に移動し右下段回し蹴りの態勢に入るが、タイミングを体で覚えたゴウは左足を鋭く踏み込ませて、左ボディーブローを狙う。
アキトの右脚は僅かに上がっただけで、すぐに床を掴み右フックをゴウの横顔を叩き込んだ。
アキトのフェイントにゴウは引っ掛かった。
だが、相撃ちだった。ゴウの左ボディーブローもアキトの右脇腹を捉えていたのだ。
相撃ちのダメージにより、ゴウは床に片膝つき、アキトはよろけて後退する。
ほんの半瞬早くアキトがリスタートし、右脚での横蹴りをゴウの顔に叩き込もうとする。
しかし、ゴウの十字ブロックが間に合った。脚の力は腕の倍以上といわれているが、ゴウはアキトの蹴りを受け切ったのだ。
ただアキトが優位にある。
片膝を床についているゴウに、右脚を戻した勢いを殺さず、アキトは体を捻り左上段回し蹴りにつなげる。
ゴウは右腕で頭部をブロックしつつ、横に転がって蹴りの勢いを受け流す。
千沙は泣きそうな表情をしている。
「まだまだだよ、千沙。泣くには早すぎるさ」
「でも・・・アキトくんもゴウにぃも痛そう」
「いやいや、痛いのはこれからさ。ゴウ兄の耐久力が尋常じゃないのは知ってるだろ。そして、アキトにゴウ兄を攻めあぐねている。勝負の行方は分からないし、まだ時間がかかるよ」
ゴウが立ち上がると二人の距離は5メートルほど離れていた。
体を小刻みに揺らしながらゴウは突進する。
もう少し落ち着け、と言いたいが、こちらに考える余裕を与えないための突進だろう。
アキトはタイミングを計って、左右に揺れて当てにくい顔面ではなく、胸部へと右横蹴りを放つ。
「ゴウ君は、落ち着きがないわね」
「アキトに考える暇を与えたくないのさ。ゴウ兄は考えながら戦うより、その場その場で対応する戦闘スタイルだからね。まあ、感覚派なのさ」
「アキト君も同じじゃないの?」
「いやいや、アキトは感覚もだけど、それ以上に合理的な考えを優先する理論派なのさ。考える時間を与えなければ、合理的な判断で戦ってしまい単純になってくんだよね」
翔太の言う通り、さっきから同じようなシーンの繰り返しだった。
アキトの下段回し蹴りに中段前蹴りで腕と脚にダメージを与えているのに、ゴウの突進力、攻撃力は全く衰えない。アキトがフェイントをかけても相撃ちになる。
「そうそう、ゴウ兄が懐に入れればアキトが絶対的に不利なんだよね。アキトに取れる攻撃手段がないと言っても良いぐらいにさ。空手技だと、ゴウ兄の回転の速い攻撃に巻き込まれるしね。せめてブルゾンを着ていたままなら、柔道の技が使えたんだよねー」
「あたしの所為で・・・アキトくんが・・・」
「こうなるの、理解してたわよね? それともバカな・・・」
沙羅が辛辣な意見を口にしようとするのを遮り、千沙が言う。
「・・・わかってた。アキトくんに・・・お宝屋に戻ってきてほしいの。でも、傷ついてほしくない・・・あたしは、どうしたら良いの?」
「そうねぇー・・・」
アキトの懐にゴウが飛び込んでくる。
アキトはサイドステップで距離をとり、膝蹴りで迎え撃とうとする。
ゴウの踏み込みが、さらに加速する。
アキトはタイミングを外され、右膝蹴りに威力がのりきらなかった。アキトの膝をゴウは十字ブロックで受けきり、もう一歩踏み込んだ。今までの、インファイトをするための突進ではなく、アキトを弾き飛ばすための突進だった。
アキトは背中から床に倒され、踏みつけ攻撃をしようとゴウが迫る。
踏みつけようとしていたゴウの右脚膝裏にアキトは左脚を蹴り上げると同時に、アキトは右の足裏でゴウの左足首を蹴り飛ばす。
ゴウはバランスを崩しアキトの右側に倒れこむ。
アキトは左に回転して立ち上がる。
元々は柔道の寝技のテクニックで、足だけでなく手も使う。相手がのしかかろうとしているとき、右手で相手の左半身を引き込み、左手で相手の右半身を突っ張る。それと同時に足をさっきのように動かすと、半回転して相手と自分を入れ替えることができる。
アキトとゴウは対峙して、相手の出方と隙を窺っている。
「・・・過去には帰れないわね。もう勝負の行方を見守るしかないわよ」
千沙が揺れる声で翔太に尋ねる。
「ねぇ~、翔太ぁ。どっちが優勢なの?」
しかし声は揺れても、視線は揺れない。千沙は2人の闘いから目を外さない。
精神の発達が、スタイル良く発達した体に比べて遅くみえる千沙もトレジャーハンターである。見るべきものからは眼を逸らさない。そのぐらいの覚悟と胆力はある。
こう見えても千沙はトレジャーハンター試験にも合格している。
大人しそうな容姿と気弱そうな声の所為で、他者に与える印象が本人の実力から著しく乖離している一因だった。
「敢えて言うなら、今はゴウ兄さ。上半身裸のゴウ兄に、柔道の技で有効な多くないからね。腕拉ぎ十字固めなどの関節技ぐらいだよ・・・。だけど、いいのが一つ入ればひっくり返されるぐらいの優勢だけどさ」
「そうねぇ。どうなるか予測つかないわね」
「いやいや、沙羅さん。勝敗の予想はついてるよ」
千沙が不安そうに尋ねる。
「どうなるの~?」
「賭けは僕の勝ちということさ」
ゴウが、その場でステップを踏み始めた。
アキトが前に出て、威力よりもスピードに重点をおいた左脚の中段前蹴りを放った。相手にブロックさせて、近づけないようにする蹴りだった。
しかし、ゴウに当たらなかった。スウェーで躱し、アキトを中心に左回りで円を描くように、フットワークを使う。
その円がだんだん小さくなってきた。
アキトの間合いに入った瞬間に、再度左脚の中段前蹴りが飛ぶ。
ゴウは、その蹴りを躱すと左ジャブを放った。
間一髪、アキトは顔を傾けて左ジャブを避けると、バックステップで距離をとった。
ゴウの軽いフットワークは、直ちにアキトを追い詰め、速い左ジャブと重い右ストレートのワンツーでアキトの顔を狙う。
アキトは防御とバックステップを繰り返し、なんとか逃れていたが、ゴウがストレートの狙いを顔からボディーに変化させた。
アキトはこの変化に対応できず、クリーンヒットを許した。
体勢を立て直す暇を与えず、ゴウがラッシュをかける。両腕のブロックの隙間からボディーに左アッパーをねじ込まれ、アキトの体がくの字に曲がる。
ゴウはボディーで下からのパンチを意識させ、右フックで顔のテンプルを狙う。ボクシングでは有効な連携だったが、これはボクシングではない。
アキトは、くの字の姿勢から、体を左へ横っ飛びさせて、転がりながらゴウから距離をとる。
しかし、アキトの後ろはすぐに壁で、今まで多用していたバックステップが使えない場所に追い詰められた。
アキトは壁際から抜け出そうと、フェイントを入れつつ左右に移動したが、ゴウも同じように移動して、正対する位置を保っている。
アキトは呼吸を整え、左腕を少し前にだし防御の形をつくり、右拳の握りを上に向け右脇腹につけた構えをとった。
ゴウがステップしているのと対照的に、アキトは構えたまま静止している。
「ゴウが優位に立ってるわね」
「そうみたいだねーーー」
翔太は気持ちの入っていない平坦な声で台詞を言った。・・・真剣な視線のままで。
「もう勝負ありでいいよ、ねっ。・・・ねぇ~沙羅さん。もうゴウにぃの勝ちでしょう、ねっ」
「2人は、まだやるみたいだわ。それに、まだ終わりではないのよね、翔太君」
「そうそう、まだまだこれからさ。僕はアキトの強さを知ってるからね」
「・・・どういうことなの~?」
「ゴウ兄が我慢できなくなって、戦い方を変えてしまったからだよ。愚直に同じ戦法を使えば、アキトの方が先に参っただろうにさ。忍耐が足りないんだよなー、ゴウ兄は」
「そうね。ゴウ君は昔から忍耐が足りな・・・」
沙羅が言い終えないうち、急激な変化があった。
ゴウがステップを踏みながら距離を詰めにかかる。
その瞬間を読んでいたアキトが、静から動へと急激に動く。
アキトは右足を踏み込み、ゴウの顔面めがけて右正拳を放つ。
ゴウは咄嗟に首を捻り、紙一重で躱すと、アキトの右正拳の戻りに合わせるように左フックを叩き込もうとする。
だが次の瞬間、ゴウの腹筋を衝撃と激痛が襲う。そこに、アキトの左膝がめり込んでいたのだ。
アキトの狙いは最初から左膝蹴りだった。
ボクシングの左ボディーブローの動作なら、ゴウの体が覚えているから、避けるかブロックできたかもしれない。しかし、顔面への右正拳で注意を逸らして、左膝蹴りへと繋げる技はゴウにとって初体験だった。
九の字に折れ曲がったゴウだが、ダウンはしない。それどころか右横を抜けていくアキトを追うため、体の向きを変える。
しかし、とうとう蓄積されていたダメージが目に見える形で現れた。
ゴウの足が、その場から踏み出せない。
そしてアキトは、それを見逃すほど甘くない。
強襲してきたアキトを突き放すためゴウがジャブを放つ。だが、スピードが遅くなりキレもない。
アキトはジャブを右腕で外に弾くと同時に、ゴウの股に右脚を入れ、相手の左脚に引っ掛けて大内刈りでゴウの体勢を崩す。なんとか後ろに倒れず踏ん張ったゴウだが、立て直す暇を与えられず宙を舞っていた。
アキトの内股が炸裂したのだった。
大内刈りの後、アキトは右掌をゴウの背中に持っていきゴウの体を引きつけ、左手でゴウの右手首を掴み下へと思いっきり引っ張った。次にアキトの体の回転と左膝のバネ、右脚の跳ね上がりで、ゴウの重心は完全に彼の支配下から引き離された。
そうしてゴウは宙を舞った後、すぐに背中から床に叩きつけられたのだった。
この部屋はコンクリートやアスファルトと違って衝撃を吸収する木の床だが、ゴウは大の字に横になったまま立ち上がれない。
十分にも満たない時間だったが、アキトとゴウ、2人の死力を振り絞った闘いが終わった。
「勝者はアキト君ね」
闘いの苛烈さに比べ、沙羅の持ち味である、あっさりとした口調で判定を下したのだった。
アキトは崩れるように、ゴウのすぐ傍で座り込んでしまう。そこに千沙が、ゴウとアキトの許に駆け寄ってきた。
「それにしても、途中まではゴウ君が有利と思ったんだけど・・・戦法を変えなければ良かったように思えるわね」
「そうそう、その通りなんだよね。戦法の変更によって変化が生まれアキトに付け込まれる隙が出来てしまったんだ・・・。いやいや、ゴウ兄にとっても仕方なかったのかな。あのままアキトの蹴りをブロックし続けてたら、腕が使い物にならなくなってだろうしね。だけど・・・それでも・・・戦法は変えるべきではなかったよ。変えなければ勝てたかもしれないんだからさ。まあ僕はゴウ兄が、初見で良くアキトの蹴りに対応できたなーっと感心するね。ああ、流石は僕の兄貴さ。その兄貴に勝ったアキト。流石は僕の親友だけのことはあるよ」
「ふーん、そうなんだ。でも残念ねぇー。アキト君は、結構お宝屋があってると私は思うのよね」
2人の決着に対して残念との感想を沙羅が漏らすと、翔太は肯いてから答える。
「そうそう、僕もそう思うよ。アキトと一緒にトレジャーハンティングできないのは残念で仕方ないなー。だけどね。いつか僕たちはアキトと共に、またトレジャーハンティングすると確信してるよ。ところで・・・」
そう言うと、翔太は正面を向いたまま手の平を沙羅の前に出した。沙羅は悔しそうな表情で翔太にコインを渡す。
アキトのお宝屋復帰を期待していた沙羅としては、賭けに負けたことも含めて2つの意味で残念な結果のようだった。
沙羅と翔太が、アキト達の方へと歩き出す。
先に立ち上がったアキトは、敗れたゴウに手を差し伸べていた。
どうやら2人とも、立てないほどのケガはしていないようだった。
ゴウは立ち上がると、アキトの手を離し、真剣な眼差しとともに宣言する。
「男に二言はない。お宝屋の看板も背負っている代表として、俺はアキトにお宝屋に戻れとは言わない・・・。俺はな・・・」
「ちょっと待てや。なんなんだ、最後のオレはなってのは?」
「約束通り・・・、お・れ・は、貴様に戻れとは言わない」
「そんなの聞いてねーぞ」
「いやいや、そう言ってたさ」
翔太が少し長めのライトブラウンの髪をかきあげながら答えると、千沙も肯きながら聞きたくない台詞を口にする。
「ゴウにぃは、そう言ってたよ~」
信じられないのだろう。
アキトは、まさかという表情をみせ、沙羅に視線を移す。
「そう言ったわね」
「アキトよ。お前のトレジャーハンティングの能力は申し分ない。だが、1人でトレジャーハンターをするのはまだ無理だ」
「なんだと・・・」
アキトは切れ長の眼を細め、黒い瞳を妖しく輝かせ、険しい表情をする。
「貴様は、契約がどういうものか理解していない。一文字の違いが仕事を、運命を、左右する力を持っているんだぞ。契約履行は信用を徐々に醸成する。契約の不履行は信用を一瞬で無にする。貴様は、この違いの理解する前に独り立ちしてしまった、契約不履行を起こすとトレジャーハンターの世界でやっていけなくなるぞ。まだ独立は早い。・・・俺からはもう貴様をお宝屋に誘えない。だが、お宝屋はいつでも貴様を歓迎する」
「・・・ゴウ」
ゴウの言う通りである。
アキトはゴウとの闘いでの取り決めすら、正しく理解していなかったのだ。
ゴウは誰の助けも借りずに、自分の足で格技場を歩く。
「アキト、今日は君を諦めるよ。だけど、僕たちが友達であることに変わりないだろ」
「・・・ああ」
「良かった良かった。今度は、僕が君を誘うからさ。よろしく頼むよ」
翔太はそう言い残し、ゴウと共に格技場から出ていった。
「あたしも、また誘うね。それと・・・プライベートのお誘いもしたいの・・・」
伏し目がちに、それだけ言うと、千沙は背を向け小走りでゴウたちの後を追った。
それぞれがそれぞれに、お宝屋三兄弟らしい台詞だった。
アキトの顔に自然と笑みが零れ、すでに見えなくなった彼らに「またな」と声をかけた。
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