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2010年
大学の授業が終わり大学1年の恵比寿工は、一人暮らしのアパートに向かって公園の中を通り抜けようとしていた。
天気の良い普段なら、子供達がサッカーをしたり遊具で遊んでいる時間。
今日は雨なので子供達の姿は全くなく、工のように足早に過ぎる人も少なかった。
公園の屋根のあるベンチに、サッカーボールを抱えて俯いている少年の姿に工は目を留めた。
傘を持っていない様子。
遊びに来たが雨が降ってきたので帰りそびれたのかと工は思った。
このご時世、幼い子供に男が近づけば不審者扱いされるが、少年があまりにもションボリとしているので、工は距離を持って少年に話しかけた。
「傘がないの?お迎えを待っているの?」
優しく話しかけると、少年は工に目を向けた。
目の前に立った、背のとても高い端正な顔立ちの工を、少年はジッと見つめた。
工も少年を見つめる。
少し茶色味のあるサラサラとした髪。大きな瞳に整った顔立ち。一瞬女の子かと見間違えるほどの美少年。年は小学3、4年生かと想像した。
「傘を忘れてきたの?お母さんが迎えにくるの?」
工がもう一度尋ねると少年は首を振る。
「お母さん、今はまだ寝てる時間。夜に仕事だから」
少年はまだ声変わり前の、澄んだ声でそう話した。
「電話は出来ない?俺の携帯貸そうか?」
工が携帯を差し出したが少年は首を振る。
「そっか。でも俺もこれしか傘ないんだよね」
工はそう言うと遠くの方を見た。
公園を出て通りを渡れば確かコンビニがあった事を思い出した。
普段使わないコンビニなので頭から消えていた。
「まだ止みそうにないから傘を買ってくるよ。待っててね」
工がにっこり微笑むと、少年も微笑み頷いた。
工は足早にコンビニに向かい、ビニール傘を買うと少年の元に急いだ。
先ほどより雨が激しくなっていて、景色が霞んで見えている。
屋根のあるベンチに近づいていくと、大柄な男が少年の腕を握っている。
もちろん少年は抵抗をしているが、腰が引けていた。
どう見ても変質者だと思った。
工は駆け足で、雨に濡れるのも構わず走り寄る。
「何をしてる!」
工が怒鳴るように大声を出すと、男は怯んで少年から手を離した。
だが、もう工は怒りに興奮していて体が勝手に動いていた。
逃げようとする男の腹に回し蹴りを入れていた。
男は呻きながらその場に腹を抱えて蹲る。工は直ぐに犯人の腕を後ろ手に押さえ警察に通報するが、その時犯人が暴れて逃してしまった。
少年をひとりには出来ないので後を追うのは諦めた。
ずぶ濡れになった工は傘をさし直して急いで少年に駆け寄る。
少年は涙ぐんでいた。相当怖かったのだろう。
「もう、怖くない」
工はそう言うと、笑顔で少年の頭を撫でた。
少年もまだ落ち着かず震えながらも、工に笑顔を向けた。
「僕、いつも変なおじさんに声かけられるんだ。いつもは直ぐ逃げるんだけど、お兄ちゃんが戻ってくるって思って動けなかった」
少年の言葉に工は胸がズキッと痛んだ。
少女に対してだけではなく、少年に対しても猥褻目的の未成年者略取が横行しているのに、自分だってそのために少年とソーシャルディスタンスを取っていたのに、自分の言ってしまった言葉のせいで、少年を危険に晒してしまったと工は反省した。
「ごめん」
申し訳なくて工は頭を下げて謝った。
「ううん!だってお兄ちゃんが絶対助けてくれるってわかってたから!」
信頼してくれた少年の言葉に工は目を見開いた。
この少年から目を離したのが、数分の出来事で良かったと思った。そして、守れたことに安堵した。
「……………うん。絶対助けてた。でも、本当に危険な時は全力で逃げるんだよ。何があっても絶対に。約束だよ」
工はそう言いながら少年に、買って来たビニール傘を手渡す。少年は受け取るとお辞儀をした。
「ありがとう」
少年が言うと、工はただ微笑み続けた。
近くの交番から若い警察官がやって来て、犯人は逃してしまったが工は事情を全て話した。
警察官への事情聴取が済むとふたりは並んで歩き始めた。
「これから雨が続くだろうから外で遊べないとつまらないだろうね」
工は、少年が少しでも落ち着くように何気ない会話をする。
「うん。土曜日に雨だと遊べる友達も少ないから遊びに行く場所がないんだ。僕はお父さんがいないし」
母親も夜に仕事で、昼間に相手をしてもらえる家族がいないんだと工は思った。
少年の孤独が見えて、工はなんて言っていいか分からなかった。
工が目を落とした先に、少年のサッカーボールが目に入った。
小脇に抱えるサッカーボールにはカタカナで名前が書いてあった。
「マサハル君!天気がいい日にまたここで会えたら、俺とサッカーしないか?」
工が誘うと、マサハルはどうして自分の名前を知っているのかキョトンとして工を見た。
工はフッと笑ってサッカーボールの名前を指さした。
謎が解けてマサハルは直ぐにニッと笑った。
「うん!」
工とマサハルは約束をすると、止まない雨の中、公園の入り口で別方向へと別れた。
その後公園で、工はマサハルと会う事はなかったが、雨の降る日にこの公園を通る度に、工は笑顔のマサハルを思い出すのだった。
恵比寿工
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