雨空にシャンソン

10/13
前へ
/13ページ
次へ
 落ちた黒い傘は私の着物の裾を汚しました。それに気付いた女の人は、胸元からそっと白い布を取り出し私に渡しました。 「あらあら、まずあなたのお顔を拭きなさいな」  けっして特別綺麗な人ではありません。若くもありません。それなのに惹かれる笑みを持った人だと思いました。静かに刻むように湛えた微笑がこの上なく似合う女の人。  私は抵抗などできようもなくそれを受け取り、その際女性の細い指先が少しだけ私の指に触れた感触に、目の前の女性が幻ではないと思えました。  白い布は私の涙をゆっくりその身に吸わせ、女の人の温かい匂いがします。  片手に土色の蛇の目の傘をさし、藤色の落ち着いた着物の裾を片方の手で支えながら腰を下ろす女性の姿に、彼女の生きてきた育ちの全てが滲み出て、私は見とれました。  その女性は静かに落ちた黒い傘を取ると、傘についた泥を落とすようにスッと降りおろしてから、私に渡しました。  私は恥かしいぐらい幼く、それを受け取るために白い布を慌てて掌に収めて手を差し伸べてしまうほどです。全てが上手く決まらない自分とその女性との格差を思い知り、でもそれでも心地のよい空間に救われていくのを覚えました。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加