雨空にシャンソン

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「千代さん、結婚なさるの?」  女学校で一番仲良くしているユリエさんは、私がお教室の机に座るとぱっと寄ってこられて、直ぐにおっしゃいました。私に縁談があることをもう既に知っておられました。ユリエさんのお父様はここら辺ではそこそこの商家で、私のお父様はいい取引相手でしたから、ついでの様にそういう話をなさったんだろうと思いました。 「ええ。父の知り合いの同じ貿易商の方らしいの。今は、西洋の方を転々としてらして、来年の春に戻ってこられるの。だから、戻ってこられたら、一緒になるわ」 「じゃあ、ここも中退なさるのね」  当時、女学校を中退してお嫁に行くことは普通のことでしたから、珍しくもなんともありませんでした。だから私とユリエさんは中退すること自体には驚くことはありません。しかし、この生活がもう終わりを告げるのかという事実に心は痛みました。 「…ずっとユリエさんとお勉強していたかったけど、家の方針には逆らえないもの」 「……」  ユリエさんは黙ってらして、私にはその理由がわかりました。もうすぐさよならをすることは勿論ですが、それ以外にユリエさんは、現代の女の在り方に少々疑問を持っておられる活発な女性でしたから、私のこの中退に快く思ってらっしゃらないのでしょう。 「仕方ないのよ、ユリエさん」  私の胸に、また、あのシャンソンの女が現れました。シャンソンの女は、こんなときに良く出てくるのです。まるであの日見た、あの異国の大きな殿方に歌うように、口ずさむのです。白い素足を投げ出して、艶かしく歌う姿で。そしてユリエさんは小さく「そうね」っと呟き普段通りの私たちに戻りましたが、心でシャンソンの女は優しく歌っていました。
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