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「お...」
私はお庭にいるお母様を一目見て言葉を失いました。目を疑う思いでした。
お母様は、雨に濡れながら小さな花を愛でてらっしゃったのです。たったこれだけのことだったのですが、私には柔らかい色のようなものがお母様を優しくしているように見え、知らない女の人のようで少し怖かったのです。
無防備に腰を屈め、花壇の脇にある小さな雑草のような名もなき黄色い花に視線を落とすその姿は、美しすぎるのです。
いつも顔に笑顔を絶やさないお母様でしたが、この笑みは同じようであっても全く違うもので、名もなき花に向けるには少々居心地の悪いもので、花を通り越して誰かに微笑んでおられるかのようだと思えば、しっくりくるのです。何にも縛られることなく自由に泳いでいられるような空気を纏われていました。
幸せそうに愛おしそうに口元から目元から、漏れ出すように温かいものを浮かばせて、挙句の果てに雨がお母様を包み抱くように優しくふるのですから、私にはもう声を掛けることは出来ませんでした。
いけないものを見てしまったような気持ちになって、踵を返そうとした時です。お母様が私にお気づきになりました。
「あら、千代さん戻ったのね。お帰りなさい」
といって声を掛けたのはいつものお母様でした。
さっきのは一体なんだったのか、幻でも見たのかと目を擦りました。お母様は堂々としておられ、やはり幻をみたのだと思うことにしました。
「今日ね、お父様が帰ってこられるそうよ。それでね吉井さんも連れてこられるみたいなのよ。お父様は、寄るところがあるらしくて、吉井さんだけが先に来られるみたいなの。でも生憎の雨で、お困りになってらっしゃると思うわ。千代さん、申し訳ないのだけど、港まで傘を届けてくれないかしら?」
銀色の優しい雨の中でお母様は笑いました。
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