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あれは、夏の暑い日でございました。よく覚えております。あんなに暑い日は珍しくて、あまり愚痴を零さないお母様でさえ「暑いわ」っと何度も口にされていたぐらいです。暑いわというお母様のお声と、外で煩いぐらいに鳴く蝉の声が何年たっても忘れることが出来ません。
そんな暑い日に私はお父様に呼ばれて書斎にいきました。お父様は真面目なお顔で文を書いておられました。
お父様が貿易商を営んでいたからでしょうか、それはそれは立派な異国の机が家にはありました。そこでお父様は何かものを書くのが好きでした。その異国の立派な文机に腰をずっしりと下ろされ、私が傍に近づいたことをお感じになると、そっと筆を休められ私に言ったのです。
「千代、そろそろ縁談を考える年になった」
いけないと思ったのですが、蝉の鳴き声が五月蝿くてお父様のおっしゃっている事があまりよく頭に入ってこなかったのです。
何をおっしゃっているのかしら?難しいことなのかしら?お父様ごめんなさい。よく聞き取れないわ。私は、そう心の奥底で冷たくお父様に謝りました。そして、だんだん腹が立ってきたのです。開かれた窓から仕切りに鳴く蝉の声に、心の中で八つ当たりしたのです。五月蝿いな、お父様の大切なお話が聞こえないじゃない。っというように。
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