#1 ハチミツ(3)

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* さてカフェ『小庭園(プチ・トリアノン)』への帰路を涼真少年と歩く現在の清水。 後方で気絶するひとりの女などもはや顧みず、呑気な話題を投じた。 「閉店プレートは下げていますが、広瀬さんが来店しているかもしれませんね」 困り事であるはずなのに、どこか楽しそうな響き。 涼真も事情をよく知る身。本日はカフェ定休日だが鍵を閉めていようと何らかの方法で勝手に入り込む広瀬。 この不法侵入だけでも厄介なのに、店のメニューにこれまた勝手に手をつけたりと、とにかく悩みの種だ。 「あ、そうですね!店長、今日こそ食い逃げの清算してもらいましょう!ダメなら魔王様に言いつけましょう!」 「それは可哀想ですよ。人間界に来られなくなっては哀れです。魔界のプリンスからはお金を頂くか、或いはこれまで通りですかね」 「……店長、お金取る気ないのでは。イケメンに騙されないで下さいね!」 「こちらもおもしろい薬をタダで貰ってますからね。おあいこですよ」 清々しく微笑まれては肩をすくめるしかない。16歳の少年は今夜はサッと諦めて話題を変えた。 店に残してきた愛犬ゴジラが気がかり。 強く成長してほしいと願って付けた怪獣の名前だが叶わず、ドアのカウベル音にも怯える臆病な仔犬なのだ。 そうしてカフェの見える通りまで来たわけだが、涼真がピクリと目元を細めて何かを予感した。 それというのも消灯していたはずが、いまや店内の明かりは通りに漏れて道を照らしていたからだ。これはもう嫌な予感しかしない。 案の定カウベルの響くカフェのドアは『閉店中』のプレートを下げたままあっさり開き、中からはカチャカチャ食器の音。 BGMを切ったフロアで、その目立つ物音は人の存在を顕著に知らせる。 店の関係者ふたり、怖れもせず店内に入ると……。 窓側奥のボックス席に、スーツ姿の見慣れた男。仔犬を膝の上に置いて座っている。 その顔立ちはランウェイを歩くモデルのように端整で、何度見ていようとまずは息を飲むまさに魔性の美しさ。 そして手元には冷蔵庫にしまっていたはずのメロンとレッドクローブ。店内メニューのスイーツに添える品だ。 涼真が目ざとく発見し、ペットを叱る飼い主のような声を上げた。 「また勝手に取り出したんですか!?」 「こんばんは涼真君、清水店長。ゴジ君と留守番してたよ」 「いらっしゃいませ広瀬さん。今日もさすがの美しさですね」 些細ないざこざはすぐに解消。気心知れた顔見知りが集まって、他愛のない話題であっても盛り上がる。 6月の短夜なんてお構いなし。今夜も穏やかな時間の流れが心地よい、カフェ『小庭園』であった。
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