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◆
「おかえりなさい店長。遅かったですね!?」
「ぱう!」
カランコロンとカウベルを響かせ店のドアを開けた清水への、これが第一声。
カウンター内から声を発したのは店員の涼真。そして彼の愛犬で看板犬として店に貢献するゴジラ。
働き者で従順。普段は優しい少年なのだが、かわいい顔は歪んで今はどこか不機嫌そう。パグ犬ゴジラだけがしっぽを振ってご機嫌に出迎えた。
変化は明らか。モヤモヤの原因である『何か』が少年の身に起きたと清水は想定。
さっそく、だが慌てず穏やかに問いかけた。
「どうしましたか?」
「来たんです」
「来た?ああ、もしかして」
語尾を省く清水の脳裏には、とある人物の秀麗な顔が鮮明に浮かんでいた。
定休日の本日水曜日にカフェ客は皆無。なんでも屋の方もいまのところ依頼予約や来客はなし。
となると心当たりはひとつ。涼真の不満も、遊んでもらったであろうゴジラの上機嫌も納得。そう、困ったあのお方の存在だ。
発言はせず、同情を含んだ眼差しのみで清水は気持ちを訴える。
鋭敏な涼真少年は視線の意味を察し、16歳とは思えぬ大人びた仕草で肩をすくめてみせた。
「はい。また広瀬さんに食い逃げされました。これでコーヒー61回目です。店長は何かあったんですか?」
出発前に聞いた帰宅予定時刻より30分遅い。
責めや束縛の意図は少年にないものの、単に文房具を買いに行っただけにしては遅すぎる。興味が湧いて尋ねてみたのだ。
店長はこれまでの出来事を追想しまとめると、先刻の男のときと同様、丁寧に説明した。
「本屋さんで財布を拾いまして、レジに届けたらちょうど持ち主のおばあさんが現れてお礼にと図書カードを譲ってくれたんです。雑貨の会計は終えていましたが欲しい本があったのでありがたく使わせてもらい、帰りにはそこのラーメン屋さんの前でおじいさんが鍵を…」
「そうですか、理由はわかりました。お年寄りと話してたんですね?」
「本当に今日はご高齢の方との縁の深い日でした。知恵袋ですし、持ちつ持たれつで大切にしてあげたいですね」
この意見に反論はなく、涼真も「元気かな」と自身の祖父母を脳裏に思い起こして頷く。
ノスタルジーに浸りかけたそんな時、彼の黒い瞳が窓の外をサッと横切る影を捉えた。
黒猫ラッキーでも鴉のハッピーでもなく、人影の本体は店のドアを開けてカウベル音の余韻のなか明るい挨拶を投じた。
「ハロー、健一アンド涼真君!と、ゴジラも。広瀬君は……今日は不在か。残念」
カジュアルなパンツスタイルで現れた女性は、活動的な服装に違わぬ元気な動作で店内を見回す。
お気に入りであり、かつ本日のお目当てでもある人物の姿は視界になく、それでも明快に残念がった。
「いらっしゃいませ五月(さつき)さん」
「こんちは五月さん。広瀬さんならさっきまでいたんですけど…」
涼真が説明し、表情の微妙なニュアンスから五月はいつもの悪態を見抜いた。
「あはっまた逃げられたんでしょ!?面白い人。じゃその愉快犯にこれ渡しておいて」
『Say June』とプリントされた紙袋を「んしょ!」と無自覚の掛け声と共にドサッとテーブルに置いた。中身は化粧品一式だ。
広瀬の妻の美羽がこの『清純』ブランドの愛用者で、五月は創立者の孫娘。職権を利用して割引価格で提供していた。
肩書きは美容アドバイザー。そして清水家三男・健一の10歳年上の姉でもある。
ちなみに広瀬の素性について五月は「言動の一風変わった顔のいい日本人」と思うくらいで、特に疑問は抱かない。
なので悪魔のプリンスという非現実な事実は知らぬも、霊感が強いため「彼…何かが違う」と楽しんでいた。
彼女が広瀬を気に入る理由だ。イケメン好きは認めるが、本人曰く決して独身が寂しく構って欲しいからではない。
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