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興奮冷めやらぬうちにと、後村伸二は当初の予定通りカフェ『小庭園』を訪問。
閉店時間と把握していたが従業員がしばらく残っていることは知っていたし、窓から灯りも漏れていたので躊躇いなくドアを開けた。
視界には店長と店員、それに犬の姿。飼い主が握るモップの後ろをちょこちょこ楽しそうに追っている。
清水店長はスプーンやフォークを片づける手を止めて来客を歓迎した。
「おやいらっしゃいませ。良いタイミングでした。そろそろ鍵を閉めようかと思っていたところだったんです。広瀬さんなら先ほど」
「ちょうど見かけた。ねえ広瀬っちが王子だって知ってた!?知らなかったらここだけの秘密にしといてよ!?」
揃いの赤いエプロンを着たふたりは途端に眉間にしわを寄せて来客を凝視。
足もとではパグ犬が「王子」の響きにしっぽを振った。いつの間にやらいなくなっていたその王子様とさっきまで遊んでいたから。
広瀬が自ら身分を明かすはずがない。自信満々に語る情報を、この中学生はどこから仕入れてきたのか。
歩み寄りつつ清水は冗談話にすり替えようと適当な言葉を並べる。直後の自己採点は赤点であった。
「広瀬さんが王子?綺麗な顔ですし、どこか海外王族の血縁ですかね?」
「違うよ!カラスのなんとかがオレに教えてくれたんだ。カラスが言葉を話したんだ!ねえ本当に広瀬っちの正体知らないの?」
「彼は広瀬達哉という日本人で、ここの常連……」
「もういいよ。オレがいま話したこと誰にも言わないでよ?オレのスクープだから!」
今世紀最大のスクープを横取りされては大変だ。後村は念を押してふたりに忠告すると、身を翻して店から出ていった。
ドアに付いたカウベルの残響のなか、店長とともに広瀬の秘密を知る涼真はそれ故に重大性を察し、なぜこんなことになったのか不安げに首を傾げた。
「ハッピーと会話したってことですか?広瀬さんしか話せないはずじゃ」
それについて清水店長には心当たりがあった。これしか考えられなかった。
「策に溺れた私のミスです。先日あの子に怪異が見える薬を飲ませたんです。恐怖を覚えさせ妖怪などへの興味を削ぐ目的でしたが、まさか会話にも有効だったとは」
「ハッピーは妖怪じゃありませんよ?なら後村くんはすべての動物と話せるようになったんですか?」
「私の推測ですがハッピーさんやラッキーさんは純粋な動物であるとは思います。そのうえで広瀬さんが何らかの魔法をかけた可能性もあります」
「例えば魔族に近づく強力な力ですか?あ、それなら妖怪じゃないハッピーとの会話も納得できます。だとすると後村くんは他の動物とは話せない?」
「ええ。憶測にすぎませんが事実であれば打ってつけの展開ですね?」
明るめの茶髪を揺らして頷くも、いまだ不安な涼真。予想のつかない未来があまりに怖い。
「平穏が崩れそうで怖いです。後村くん何をする気でしょうか。マスコミには黙っていてほしいです」
「常識ある人ならこのようなファンタジーなんて信じません。マスコミもすぐには飛び付かないでしょう。ただSNSなどへあまりにしつこい投稿をされると野次馬がここへ来る恐れもあります。広瀬さんだけでなく近隣の方々へのご迷惑にもなります。対処の必要がありますね」
もし動画を録られていても、視聴者には「カーカー」と、どこにでもいる鴉の鳴き声にしか聞こえないはずだ。
つまり言うほど被害を予想する必要はないのかもしれない。
だが油断していては気づいた時に足元をすくわれている可能性も。小さな変化だろうと清水は抑えこみたいのだ。
「ハッピーさんは口が軽いわけではありませんが、慎重が空回りして滑りやすい傾向になるのも事実です。ああ直に会話したこともないのに愚痴っぽくなってしまいました。これは私の責任です。私が何とかします」
清水の脳裏に先日思案したプランが甦る。
妖怪の話題を涼真へ持ちかけようとする後村を懲らしめるため思案した作戦だったが、『アレ』の使用はそのままに守る相手の変更だ。
急ではあるも広瀬やハッピーを守るため今夜にでも動く必要がある。
涼真を守ることにも繋がる。数日時期が早まっただけのこと。一石二鳥と思えばいい。
その涼真、傍観者に徹するつもりはなく、自らすすんで立候補した。
「協力します。ボクも広瀬さんやハッピーが変なことに巻き込まれるのは嫌です」
「ばぅばぅ!」
店員とその飼い犬の申し出にありがたさを感じるも、清水には即答で首を縦に振れない理由が存在する。
計画に用いる道具、通称『アレ』を涼真に見せるわけにはいかないのだ。
悩んだ結果、嘘で塗りかためるという手段を取った。
「わかりました。でも今日は動きません。なので涼真君は帰宅です。近日中に広瀬さんも交えて計画を立てましょう。涼真君やゴジラさんの協力も頼りにしてますからね?」
「はい!」
「ばう!」
ビシッと短い返事をひとつ。邪魔者扱いされず計画に関われることが嬉しい。隠しきれない微笑が若々しい顔に滲み出た。
その後いつも通りの閉店作業をこなし、愛犬と共に涼真は帰宅したのだった。
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