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至理2 前提の心構え
○素女経 至理2
素女は曰く:「采女なる者有り、道術を得たること妙なり。王は采女をして彭祖が延年・益壽の法を問わしむ。彭祖は曰く:「精を愛しみ神を養い、食を服し藥を眾くせば、長生を得たるべし。然して交接の道を知らざらば、服藥と雖ど益無かりたるなり。男女の相い成るは、猶お天地の相い生るがごときなり。天地は交會の道を得たらば、故に終竟の限無し。人は交接の道を失わば、故も夭折の漸有り。能く漸傷の事を避け、陰陽の術を得たるが、則ち不死の道なり」と。
セックスの奥義を語る前に、
原則論を語らねばなるまい。
ここを踏まえずして、
より良いセックスを……
と、ほざく者の、なんと多いことか。
わかったわかった、
ならばバイ○グラでも飲んどけ。
では、原則論。実にシンプルである。
髪の毛から爪先までを愛せ。
自らの心の動きに、より敏感であれ。
その上で食、及び漢方の服用により、
身体のバランスを整えよ。
これら基礎を固めた上で房中術を実践し、
初めて長生きが実現する。
もっとも、より良きセックスを知らねば、
あらゆる漢方も無駄となるのだが。
この世にて男と女が分かれたのは、
それこそ天と地が分たれたのにも似よう。
天と地という、とこしえに終わりのなき
両者が交わり合うこと。
エンドレス×エンドレス=エンドレス。
人間は、ともすればこの
エンドレスループを見失いがちとなる。
故にセックス狂の男は、
しばしば精力を失い、朽ちるのである。
このような悲しき最期を避ける上でも、
房中術は確かな役割を果たすのである。
○カーマ・スートラ1-2
カーマは、愛と訳されることもある。
そしてカーマこそが心身を健全に保つ、
と考えられている。
となれば、その存在は
食事と価値をひとしくするものである。
○崔浩先生、曰く
カーマ・スートラに
「まず健康であれ」の一文はない。
ここはもはや目的の違いゆえであろう。
また射精=損耗、という考え方が、
カーマ・スートラには存在せぬ。
もっとも、そもそもにして射精に
さほどウェートが無いのだがな。
カーマ(愛/性)の充足とは、
接合部のみに留まらぬ、
愛し合う両名のコミュニケーション。
故に、素女経をはるかに上回る分量は
そのおおよそが「コミュニケーション」に
充てられている。
もっとも、中国の宮廷や後宮には
女性向け性指南書も
存在はしていたのであろう。
ひとまず、その存在は聞き及んでおらぬ。
遺失を嘆くばかりである。
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