至理3 多くの女性と

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至理3 多くの女性と

○素女経 至理3 采女(さいじょ)は再び拜して曰く:「教えが要を聞かんことを願う」と。彭祖(ほうそ)は曰く:「道は(はなは)だ知り易かれど、人は信じ之を行うを能わざるのみ。今、君が王の萬機を御し、天下を治むるに、必ずや能く眾道(しゅうどう)を備うるを為したらざるなり。後宮にて多きに幸いし、(よろ)しく交接の法を知り、法の要たるは、多きの少女を御し、數しば瀉精せる莫きに在り。人が身をして輕からしめ、百病を消除せしめんなり」と。 あらゆる物事の最適解は、 往々にして原則論に基づく。 すなわち、実にシンプルである。 が、あまりにもシンプルすぎるがため、 却ってひとはそれを疑わずにおれぬ。 では、そのシンプルな原則とは何か? 言い切ろう。 どれだけの女たちとセックスしてもよい。 むしろ、多くの女とセックスするがよい。 射精さえ、せねばよい。 射精の数が減れば、 そのぶん、身も心も軽くなる。 逆説的であるが、これが事実である。 ○カーマ・スートラ1-5 同カーストの未婚の女に奉げるカーマは 世間の規範に則るものである。 故に、推奨される。 上位カーストに属する女、 同カーストで他者と結婚している女へ 奉げるカーマは、禁じられている。 下位カーストの女、カースト外の女、 遊女、再婚した女へのカーマは 推奨されてはいないが、 禁止されてもいない。 遊女については言うまでもなし。 再婚した女は、 一度情愛が翻されていること、 という点で遊女と変わらぬ。 あるいは再婚先の夫との 政略的な関係を踏まえれば、 再婚した女とカーマをかわすのは 様々なメリットももたらそう。 そう、例えば女が再婚した先の 夫を陥れることを企図する上でも、 再婚女への誘惑は有効である。 また似たような事情より 寡婦、尼僧などへの誘惑も 許容されうるものである。 ただし親友の妻、親族の妻、 師の妻、王侯大臣の妻などは 決して誘惑せぬようにせよ。 ○崔浩先生、曰く ……うむ。 ニュアンスがまるで違うな。 ただ、アレだ。 カーマ・スートラの内容が やけにドギツかったものでな。 紹介せずにおれなんだ次第である。 二十一世紀日本の倫理観を 持ち出しても仕方ないのだが、 ずいぶんと女の扱いが軽い。 特に再婚妻への誘惑であるとか、 あるいは「謀略的意図を踏まえれば」 初婚妻への誘惑も厭うてはならぬ、 ぐらいのことは書かれている。 無論、これとは全くの別軸で 「カーマを捧げる相手」からの 信頼をどう勝ち取るか、 という話は出てくる。 要は「誘惑しても差し支えない」 だけであり、 「セックスしてもいいよ」 ではないのである。 女に断られたら 終了なわけであるからな。 金と才覚なきブサメン死すべし。 おや、作者が死んだな。 ○死んだ作者から 男尊女卑、と我々が呼んでいる 男女の待遇差は、 そのルーツについて言えば、 ただの役割分担だったのだ、 と考えています。 いやね。ぶっちゃけ、 万年種付け可能な生物のメスなんて、 どんだけ日常的に被レイプのリスクに さらされてんのよ、って話です。 現代日本みたいな治安国家ですら そういうのに怯えなきゃいけないのに、 ケーサツらしきものもいない時代とか どんな事になっちゃうのよ、とゆう。 なので、万年種付け可能生物のオスは、 被レイプリスク、言い換えれば 望まぬ妊娠を被るリスクより メスを保護するため、巣の内側にしまった。 一方のオスは外働きを引き受けるため、 筋力に秀でるようになった。 ただし外敵に殺されるリスク、 出先の災害に襲われるリスクも 引き受けるようになったため、 どうしても個体数が少なくなった。 故に、古来より一夫多妻のシステムが 多く見られるようになった。 ――来歴だけで見れば こんな感じなのかな、と。 なので素女経もカーマ・スートラも、 オスが複数のメスを相手にする前提で 論を進めているのかな、と思うのでした。 つまり、当時の事実に即すると そうならざるを得ないよね、 的な感じです。 ただまぁ、これらによって 「オスが上だと勘違いするだけの  素地が整った」 感もあります。 闘争は生物のサガ。強いオスは、 「他のオスよりも」「メスよりも」 えらい、と、思い込むことでしょう。 そんなんが数千年積もるんですよ。 メスが制度に組み伏されてしまうわけです。 なんつーか、来歴から紐解いてみれば、 「男と女、どっちが上か」論については 「うるせー、屁こいて寝てろ」 くらいしか言えなさそうだと思いました☆
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