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『みんな集まってくれ』
午後3時過ぎ、捜査一課のフロアに戻ってきた上野が自分の班の人間を集めた。
『門倉唯誘拐犯から警視庁宛に動画が届いた。これだ』
上野がパソコンのモニターを操作すると画面には無音の映像が流れ始めた。灰色の空間にいる小さな女の子が涙を溜めてこちらを見ている映像だ。
顔写真と見比べて見てもこの少女が誘拐された門倉唯本人で間違いない。
「これ……まさか爆弾ですか?」
真紀が少女の身体に巻かれているものを指差した。早河や香道もそれを凝視している。
『おそらくな。発信元と映像は解析中だがリアルタイム映像ではなく録画のようだ。動画と一気に送られたメッセージには犯人の次の要求も書かれていた。早河、今日の午後6時までにお前ひとりでこの場所に来い、との指示だ』
またしても早河を名指しする正体の見えない犯人に彼らは翻弄されていた。
科捜研の解析結果では動画が撮られた場所は大田区の工業地帯にある工場と推定されたが、大田区内のどの工場かは判明していない。
早河は上野警部、香道、真紀、そして同じ班の原昌也と共に大田区に向かう。現在時刻は午後4時20分、犯人が指定した午後6時まで2時間もない。
金属の加工音が鳴り響く夏の午後の工業地帯を早河達は走り回った。道の途中ですれ違う近所の子供達と門倉唯の姿が重なる。
世間は夏休みだ。本来なら門倉唯も楽しい夏休みを過ごしていただろう。こんな大人の汚れた争いの被害者に子供がなっていいわけがない。必ず助ける。
散々走り回って疲れて重たくなった足を引きずって早河は工場が並ぶ道を進んだ。
捜索を開始して間もなく1時間になる午後5時10分、早河の携帯にまた非通知で着信があった。一緒にいた香道と目を合わせると香道が頷いた。早河も香道に頷き返し、通話ボタンを押す。
{頭をひねって考えてみたかい?}
今日のお台場での身代金受け渡しからこの機械的な声を聞くのは三度目だ。
『お前の狙いは俺だろう?』
{正解。よくできました}
こちらを小馬鹿にした物言いに腹が立つが、挑発に乗れば相手の思うつぼだ。
『どうして俺を狙う?』
{それは過去からの因縁とでも言っておこう}
『因縁?』
因縁とはどういう意味だ? やはりこの口調は昔どこかで……?
{日本の警察もなかなか優秀だね。制限時間を18時にしたのは少々甘かったかな。それでもいい運動にはなっただろう?}
『ふざけるな。唯ちゃんはどこだ?』
{人質が助かるかは君次第だよ。優秀な君のために制限時間を変更しよう。17時30分までにあの動画が撮られた場所まで来るんだ}
早河は腕時計を見た。今は5時13分。
『あと15分もないじゃないか!』
{できるよ。君ならね}
通話が切れたと同時に早河は走り出した。香道が彼の後を追う。
『早河! どうした?』
『犯人はどこかで俺達を監視しているのかもしれません。今の電話、まるで俺の様子をどこかで見ているような口振りでした』
走りながら早河は言う。二人は人通りの少ない脇道に入った。
『奴がこちらの動きを見ている可能性はあるな。……ん? 早河、今なにか聞こえなかったか?』
香道が立ち止まり、左右を見回している。数メートル先で早河も立ち止まって耳を澄ます。
『……子供の泣き声?』
『こっちから聞こえる』
『香道さん待ってください。俺ひとりで行きます。それが犯人の指示です』
『わかった。気を付けろよ』
『はい』
早河は泣き声が聞こえる方向に向かった。近付くにつれてだんだん泣き声が大きく聞こえる。
そこは廃業となり今は使われていない工場だった。扉は施錠されていない。
息をひそめ、辺りを警戒してゆっくり進む。薄暗い灰色の空間の中に椅子に座った少女がいた。
『唯ちゃん! もう大丈夫だよ……』
少女の顔を覗き込んだ早河は絶句する。少女には顔がなかった。
正確には顔と呼べる部分はあるが本来あるべき目と鼻と口がない、のっぺらぼうの人形だった。
人形の膝の上には小型レコーダーがある。子供の泣き声はそこから再生されていた。
『クソッ……!』
早河は人形が座る椅子を蹴り飛ばした。椅子は倒れ、人形とレコーダーが音を立てて床に落ちる。見計らったようにまた非通知の着信が響いた。
『おい! なんだこれは!』
{これくらいで感情的になってはダメだなぁ}
機械的な声は笑っていた。
『こんなことをして何が楽しいんだ?』
{楽しいよ。君がどんな刑事になったのか、もっと私に見せてくれよ}
『お前……誰だ?』
{まだわからないかい?}
早河は無言で瞼を閉じ、こめかみを押さえた。掴めそうで掴めない、日差しでぼやけた影法師。
──遠くで……
──蝉の鳴き声が……
{さて、問題だよ、早河くん。私は誰でしょう?}
無情に途切れた通話。誰もいない廃工場に虚しく生暖かい夏の風が吹いた。
第一章 END
→第二章 夏の記憶 に続く
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