第一章 逆光

6/8
132人が本棚に入れています
本棚に追加
/46ページ
『香道。ここから先は本当にトップシークレットだ。外部に漏れたら洒落にならない。いいな?』 『はい』 『辰巳佑吾の母方の曾祖父は元内閣総理大臣の安田倫太郎(やすだ りんたろう)。辰巳は日本の事実上のトップと言われる元首相の曾孫だ。辰巳の母方の祖母、つまり安田の娘は安田が愛人に産ませた子供だから安田家の家系図に辰巳の存在は記されてはいないが、安田は曾孫の辰巳を溺愛していたらしい』  元内閣総理大臣の曾孫が犯罪組織のトップ。この事が公になれば日本政府は国民や世界から不信感を抱かれることになる。 『それは……バレたら洒落になりませんね』 『最悪日本が崩壊しかねない。政府と警察は辰巳の血筋を隠そうと必死だった。両親を殺した時の辰巳の心神喪失も警察、検察、政府が手を組んで仕組んだでっち上げだ』 『だから上層部は早河の親父さんに深入りするなと命令したんですね』 上野は今度は頷いて、資料室の外に人の気配がないことを再確認してまた机に腰掛けた。 『武志さんは理由も知らされずにカオスに関するあらゆる捜査を禁じられた。しかしあの人はまぁ……権力に屈しない人だった。彼は極秘でカオスを追い続けたがそのせいで早河と美知子さんが辰巳の標的になってしまった』 『辰巳も早河の親父さんの存在に気付いたんですね』 『そう、辰巳も武志さんの身辺を調べていた。奴が目をつけたのはまだ幼い早河だった。あの日は久しぶりに家族で出掛けた休日だったのに……武志さんの目の前で美知子さんは早河を庇って辰巳の手下にナイフで刺されて亡くなった』  衝撃的な事実に香道はすぐには言葉が出なかった。静まり返る資料室の窓から差し込む光が香道と上野の二人の影を壁に映す。 『早河の親父さんは辰巳を憎んだでしょうね。目の前で奥さんを殺されて』 『いつか俺があいつを牢屋にぶちこんでやる、それが武志さんの口癖だったよ。ようやく辰巳の居所を掴み、俺と武志さんは辰巳のアジトに向かったが、そこに辰巳はいなかった。俺達の動きを監視していた警察上層部が辰巳に情報を流して逃がしたんだ。その時の俺と武志さんの上司があの門倉警視総監だった』 孫が誘拐され、自身も射殺された門倉警視総監の名が挙げられて香道は戸惑った。 『まさか門倉総監が辰巳を逃がした?』 『そうだ。当時は警視だった門倉総監は俺と武志さんの動きを上層部に報告していた。上司に裏切られた武志さんは警察を辞めて探偵になり、辰巳を追い続けた』  上野は懐から銀色のライターを取り出した。ずいぶん年季の入った物だ。 ライターにはT.Hとイニシャルが刻印されている。 『これは早河の親父さんのライターですか?』 『ああ。早河武志のT.H。彼の形見だ。武志さんが警察を辞める時に俺にくれた物だが本来は早河に渡してやるべき物だよな。あの人は息子の早河にも本当のことを言わずにたったひとりで……。12年前の8月、ついに武志さんは辰巳に辿り着いた』 差し込む光に上野は目を細めた。机に置かれたライターが太陽の光を反射している。 『あと一歩のところで……武志さんは辰巳に殺された。俺がその場所に駆けつけた時には二人の死体があった。ひとりは武志さん、もうひとりは辰巳だ』 『辰巳が死亡したことは知っていましたけど、一体どういう経緯で辰巳と早河の親父さんはそんなことに?』 『わからない。辰巳は正面から心臓を一発撃ち抜かれていた。状況から考えれば武志さんが辰巳を撃ったと思われたが、あの人は警察を辞めていて銃の所持はしていなかったはず。それにどんなに憎い相手が目の前にいても武志さんは人を殺さない。しかも武志さんの方が武志よりも死亡推定時刻が微妙に早かった。武志さんが先に殺された後に辰巳が何者かに殺されたんだ』  状況整理が追い付かない香道は乱暴に頭を掻いた。最初に殺されたのが早河武志、武志を殺したのは辰巳だとして、辰巳を殺したのは? 『辰巳を殺した第三者がその場にいたってことですよね?』 『ああ。だが現場は寂れた貸ビルだったんだが、地元の不良の溜まり場になっていたそこには多くの人間の指紋やDNAで溢れていて、辰巳を殺した第三者の痕跡は見つけられなかった。結局、辰巳を殺した人間の正体はわからないまま12年が経つ。もうすぐ武志さんの命日だ』 『辰巳が死んでカオスはどうなったんですか?』 『創設者であるトップが死んだんだ。その後に相次いで幹部が自殺したことで俺も警察上層部もカオスは自然消滅したものだと思っていた。だがキング……』 上野の口振りはもはや過去形。彼はその名を小さく呟いた。 『1年前の静岡の事件でペンションオーナーの姪の浅丘美月が何者かに拉致された時、その何者かが彼女にキングと名乗ったらしい。その時から嫌な予感を感じていた』 『辰巳に代わる誰かがカオスのキングを名乗っていると?』 『もしかしたらトップが辰巳ではなく“別の誰か”に代わったカオスが復活したのかもしれない』  上野の考えは飛躍しているともとれるが、完全に否定もできない。しかしそれよりも香道には腑に落ちない点があった。 『もしカオスが復活していたとしてもなぜ俺に話すんですか? 関係があるとすれば早河のはず……』 『早河にすべてを話せば何をやらかすかわからない。なにせ両親のどちらもカオスの人間に殺されているんだ。だからこの件はまだ早河には言うなよ。時期を見て俺が話す』 上野の念押しに香道は深く頷いた。
/46ページ

最初のコメントを投稿しよう!