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JR高円寺駅から電車で新宿駅に出て、新宿の西へ向かう晴についていく。ここまでの道のりでも晴は行き先を明かさない。
高層ビルのひしめく街を抜けて静かな路地裏を進む。路地裏には開店前のバーやパブ、使用目的の不明な怪しげな店の入るビルが所狭しと並んでいて、不気味ですらあった。
『木村ー。連れて来たかったのはここ』
先を歩いていた晴がヴィンテージ風の楽器のイラストが描かれた看板の前で待っていた。その看板のあるビルは見たところ楽器屋のようだ。
『こんな場所に楽器屋?』
『ここ、業界ではわりと有名なんだぜ』
ビルは四階建て。看板にはschicksalと書いてあり、シックザールとフリガナがあった。シックザールはドイツ語で運命の意味だと晴が言う。
『サトルさーん。来たよー』
ガラス扉を押し開けて晴と隼人は店内に入った。店に響き渡る晴の声はよく通る声だ。
『おお、晴。遅かったな』
店の奥から長髪の茶髪を後ろで結んだ中年男性が姿を現した。彼は傷だらけの隼人を見て驚いている。ここに来るまでの電車の中でも何人もの人間にジロジロと見られた。
どう見ても喧嘩の後にしか見えない有り様では当然だ。
『同じ学校の友達か? 晴がここに友達連れてくるのは初めてだな』
どうやらサトルと呼ばれる男は隼人が怪我をしていることに驚いているのではなく、晴が隼人を連れて来たことに驚いているらしい。
『学校の奴でもコイツなら教えてもいいかなーって。一年の時に同じクラスだった木村隼人。こっちはこの店のオーナーのサトルさん』
隼人とサトルは互いに自己紹介して会釈する。サトルが目を細めてじっと隼人を見ていた。
『悠真は?』
『上にいるぞー。ああ、そうか。デジャヴだと思ったら木村くんはどこか悠真に似てるなぁ。外見じゃなくて物腰や雰囲気が』
『それ俺も思った! おまけに成績学年トップってところまで悠真とそっくりなんだよなー』
またしても正体不明の人物が出てきた。ユウマとは誰? 隼人は訳がわからないまま晴に促されて店の奥に進む。
ここまでの晴の印象を一言で言えばマイペース。さっきから晴に振り回されている気がする。どこかの医大生の自分の姉を思い出すこの感覚は隼人にしてもデジャヴだ。
店の奥には狭い階段があった。晴が先に上がり、隼人も後を追う。二階、三階と通過してさらに上へ。最上階の四階に到着した。
四階にひとつある重そうな扉を晴が開ける。聞こえてきたのはそれまで無音だった世界とは真逆の世界。
物悲しいギターの旋律がその部屋には流れていた。
綺麗に磨かれたフローリングの床。壁には海外ミュージシャンのポスターやコラージュが貼られ、ギターとベースが掛けられている。
床を一段高くしたスペースにはマイクスタンドとドラムセット。ここが音楽スタジオだと一目瞭然だった。
部屋の中央に置かれた黒い革のソファーには隼人と晴と同じ杉澤学院高校の制服を着た男が座っている。この物悲しい旋律は彼が抱えるギターから奏でられていた。
ギターを弾く手を止めた彼が顔を上げて二人を……いや、正確には晴の一歩後ろにいる隼人だけを見た。
男を綺麗だと思ったことは隼人の人生で一度もない。しかしギターを弾くこの男を形容する言葉は綺麗としか言いようがない。
彼が女っぽいと言うのではなく、気品のある洗練された美が彼には備わっていた。
『……晴。そいつは?』
一瞬で相手を惹きつけ魅了する視線。物静かだが圧倒的な存在感を放つ男の雰囲気は凡人とは言い難い。とてもじゃないが同じ高校に通う高校生には見えなかった。
『同じ学校の木村隼人。木村、こっちはさっきサトルさんも言ってた高園悠真。俺らと同じ杉澤の二年でクラスは4組。ちなみに俺は5組なー』
杉澤学院高校は二年生から特進クラスと普通クラスに分けられ、特進はさらに文系2クラス、理系2クラスに分けられる。
全7クラスあるうちの特進文系が1~2組、特進理系が3~4組、5~7組が普通クラス。
隼人は特進文系で1組、晴は普通クラスの5組、幼なじみの渡辺亮は4組で高園悠真と同じクラスだ。
『高園です。よろしく』
隼人の怪我を特に問い質すこともなく高園悠真は端整な顔を緩めて微笑んだ。
『ああ。俺は木村隼人。よろしく』
自己紹介を交わす隼人と悠真を晴が不思議そうに眺めている。
『お前ら、お互いのこと知らなかったのか? ある意味、お前ら二人が揃ってるのってすげぇなぁって俺なんかは思ったんだけど』
晴が不思議がる意味が隼人も悠真もわからない。どうして晴が手を叩いて大笑いしているのかも二人には意味不明だ。
『あー……! 面白れぇ! まぁ悠真はわかるけどよ。木村もかぁ。うんうん、二人ともテストの順位表見たことない?』
『順位表? そんなものあったか?』
悠真が無関心に返す。仕方なく晴の相手をしてやってる感は否めないがこれが晴と悠真の常なのだろう。
『あったぞ。職員室の前の廊下にテストの順位表が毎回貼り出してあって、俺も去年はたまにしか学校行かなかったから順位表なんかお目にかかる機会も少なかったけど。それでも高園悠真と木村隼人の名前は記憶に残ってたなぁ。一年の時からお前らってテストの順位が同率1位なんだぜ? けっこう周りが騒いでるのにその様子じゃ本人達は順位表の存在すら知らなかったようだな』
晴の話を聞いて隼人も悠真も一応の納得はできた。つまりはテストの順位が同率1位の人間が今ここにいることが晴には感動的だったらしい。
『順位表の存在は知ってたけど見に行ったことはねぇな』
部屋に点々と散らばる椅子のひとつに腰かけた隼人は改めてこのスタジオを見渡した。
『木村と悠真の順位で騒いでるのは外野だけで、本人達はまるで気にしてないそこがウケるんだよなー。お前達らしいよ。あ、それで海斗と星夜は?』
『今日は来ねぇよ。アイツらテストでヘマして追試だと』
『うわー。やっちまったな。単位ギリの俺も人のこと言えねーけど』
晴がドラムセットの中央に座り、悠真はギターの弦の状態を確認している。晴がドラム、悠真がギター、ここが音楽スタジオならば答えは自明だ。
『お前らバンドやってるのか?』
『そ。俺と悠真はLARMEって名前でバンド組んでるんだ。メンバーは他に悠真の弟の海斗がボーカル、海斗の同級生の星夜がサブボーカルとベース。海斗と星夜はまだ中3で今日は残念ながら欠席だけどまた二人にも会わしてやるな』
楽しげに晴がバンドの説明をしてくれる。隼人も自分の知らない世界の話を聞くのが楽しかった。
『今日は俺と悠真の演奏を木村に聴いてもらおうと思って』
『ああ、楽しみだ』
悠真もドラムセットの手前の椅子にギターを抱えて腰かけた。二人の勧めで隼人は革のソファーに移動する。ここが客席だ。
『悠真、選曲どーする?』
『ギターとドラムで様になるのはこの辺りだな』
一段高くなっているステージに上がる二人の表情は真剣そのもので本物のバンドマンのよう。
『じゃ、木村。始めるから覚悟しとけよ?』
挑発的な笑みを浮かべる晴に隼人は笑って頷いた。
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