story1.闇夜の迷宮

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 晴がドラムの縁をスティックで叩いて演奏開始のカウントを刻む。ドラムの低音域のリズムにギターの切ない音色が重なってこの空間を支配した。 悠真が詞を歌い、ところどころに入る晴のコーラスが歌に深みを増す。ボーカルは悠真の弟がやっていると聞いたが、悠真も晴も歌が上手かった。 普段の口調は落ち着き払っている悠真の歌声は甘く伸びやか、陽気な笑い声が印象深い晴のコーラスは力強い。  そしてギターとドラム。音楽には無知、無学に近い隼人でも二人の演奏が桁違いの腕だとわかる。正直に言えばもっと気楽に聴ける、高校生の軽音楽部レベルの演奏だと思っていた隼人は度肝を抜かれた。  これは気楽に聴けるものではない。高校生が遊びでバンドを組んでいるレベルではない。悠真のギターも晴のドラムも高校生のレベルを越えている。  二人の息はぴったりで二人でひとつの音を奏でている。その音になんだか胸の奥が熱くなり、隼人は心が洗われていく気分だった。 いつの間にか隼人の目に涙が滲んでいた。  旋律の激しさが加速する。ドラムを叩く晴の身体は上下左右に揺れ、ギターを奏でる悠真の指は弦の上を滑らかに踊る。空気が震え、ギターの余韻を残して演奏が終わった。 隼人は敬意の拍手を二人に送る。 『覚悟足りなかったみたいだ。音楽聴いて泣いたのは初めてだよ』 『ありがとな。俺達も誰かに聴いてもらえるのは嬉しいんだ。な、悠真』 『ああ。俺達のバンド名のLARMEはフランス語で涙の意味。観客が自然と泣ける音楽を届けたいって想いが込められている』  晴と悠真が立ち上がって一礼する。隼人はまた大きな拍手を送った。 『名前の通り泣ける音楽だよ。最高だった』 『木村も最高の観客だぜ。知ってるか? 音楽で泣ける人間は心の綺麗な人間なんだよ』 隼人の隣に座った晴が彼の肩を叩く。 『心の綺麗な人間か。本当にそうならいいけどな』 『……さっきの曲、コピーじゃなくて俺達のオリジナルなんだ。作曲したのは悠真』  自嘲の込められた隼人の表情の変化に気付きながらも晴はあえて違う話題に変えた。マイペースに見えて機転の利く男だ。 『高園は作曲もできるのか?』 『知り合いに作曲家がいてその人に教えてもらったんだ。LARMEの曲はすべて俺が作ってる』 『その知り合いの作曲家は下にいるサトルさんの仲間だ。このスタジオも元々はサトルさんが仲間と使っていた場所を俺達が貰い受けたもの』 サトルは楽器屋の店主、仲間が作曲家…… 『サトルさんもバンドやってたのか?』 『サトルさんは……』  晴が悠真にアイコンタクトをとる、晴とアイコンタクトをとった悠真が頷き、口を開いた。 『emperor(エンペラー)ってバンド知ってるか?』 『emperor……ああ、10年くらい前に解散したバンドだろ? 親父がファンで今もよく聴いてるよ』  emperorは1980年代に爆発的な売上を記録した伝説のロックバンド。今でもラジオのリクエスト曲や有線、音楽番組の名曲特集でその名前と楽曲を耳にする機会は多い。 隼人の父親がemperorのファンと知った悠真と晴は目を合わせて微笑した。陽気な晴と違って第一印象からクールなイメージのあった悠真がこんなに柔らかく笑うことが意外だった。 悠真が話を続ける。 『emperorは1979年にデビューして90年に解散してる。メンバーは四人。ボーカルのKEI、ギターのYUKINARI、ベースのSATORU、ドラムのTSUKASA。四人全員が本名年齢非公表、メディア露出は一切しない、ライブハウスでしかemperorの姿を見ることはできない。解散した今は一部のメンバー以外は正体不明のロックバンド。……ここまで言えばもうわかるだろ?』  emperorのメンバーで隼人がひとりだけ心当たりのある名前があった。なるほど、そういうことか。 『ベースのSATORUってことはサトルさんがemperorのSATORU?』 『ピンポーン! 大正解!』  晴が人差し指を立てて左右に振る。悠真がスチールラックに並ぶCDの中からCDを何枚か抜き取って隼人に渡した。 CDは父親の部屋で見たことがあるジャケットだ。 『サトルさんはemperorのベーシストでリーダーだった。俺が作曲を教わったサトルさんの仲間はemperorギタリストのYUKINARIさん。彼は今は本名の葉山(はやま)行成(ゆきなり)としてアーティストの作曲を手掛けている。emperorメンバーで本名を知られているのはYUKINARIさんだけだ』  邦楽は聴かない隼人も父親の影響でemperorの曲はよく聴いている。胸に突き刺さる歌詞と攻撃的なのに繊細なサウンド、惜しまれつつ解散した伝説のロックバンド。 解散から10年が経つ今でも多くのファンに支持され続けている。 葉山行成の名前も最近よく耳にする。有名アーティストの楽曲を多く手掛ける売れっ子の音楽プロデューサーだ。 『emperorと知り合いってすげぇな』 『それは俺の父親もemperorのメンバーだからさ』  悠真の衝撃発言に驚いた隼人は手に持っていたemperorのCDを落としそうになった。 『まじ?』 『まじ。emperorのボーカルのKEIの本名は高園圭。俺の父親』 『お前……芸能人の息子だったのかよ』 今日は彼らに何度も驚かされる。隼人はemperorのCDをしげしげと見つめた。 『父さん達は本名を公表せずに活動していたからemperorのKEIが活動期間中に結婚したことも子供……つまり俺と弟が生まれたことを知る人も少ない。音楽業界の限られた人間しか知らないことだ。他のメンバーも同じ。活動期間中に全員が既婚者になって子持ちだったけどプライベートな情報は世間に流れていない』 『徹底してるな』  モデルの仕事を少しかじっているだけの隼人は芸能界には深入りしていない。芸能界の、それも競争激しい音楽業界の世界は想像もつかなかった。 『でもemperorのKEIの息子だと知られていない方が好都合なんだ。デビューして親の七光りだと言われたくないからな』 口調はあくまでも静かな悠真の言葉には力強い響きがあった。 『デビュー?』 『俺達の夢はメジャーデビューして全国ツアーで日本全国回ってツアーラストは武道館でライブをすること!』 悠真の言葉を晴が引き継ぐ。  メジャーデビュー、全国ツアー、武道館ライブ……スケールの大きさに圧倒されると共に、隼人は鳥肌が立った。彼らの音楽ならその夢が現実になる日が来るのかもしれない。 ただの夢物語でなく、本当に彼らは夢を叶えてしまいそうな、そんな説得力が彼らの演奏にはあった。 『夢か……。何かいいな、そういうの。お前らには夢があって羨ましいよ』 『夢は見るものじゃなく築き上げるものだ。すぐに叶えられる夢は夢じゃない』  悠真は窓際に佇み、四階のこの部屋から見える新宿の夜景を眺めている。彼は言葉を続けた。 『夢ってのは追っては逃げ、追っては逃げの繰り返し。挫折して崩れて破れて……。一度や二度ボロボロに砕け散るのは当たり前だ。それでも残る想い、簡単に諦められない想い、それが夢だ』 『ひとつ挫折したくらいでへこたれてたら叶えられるものも叶わない。築き上げたものがもし崩れて砕けてもまたイチから築いていけばいいんだ』  そうだ。二人の言うとおりだ。夢はまた築けばいい。夢は見るものじゃなくて築き上げるもの。 こんな簡単なことに気付かずにたった一度の挫折で人生悲観して腐るなんて、バカだ。 腐ってる暇なんか、ないんだ。
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