スピンオフ1.【茜色の通学路】

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 麻衣子は階段を駆け降りて昇降口を飛び出した。 隼人と山崎沙耶香がキスしているところを見てしまった。見たくなかった。 溢れてくる涙を拭う余裕もなく、夕焼け空の下でひとりぼっちの帰り道を行く。  隼人が好き。その気持ちをこれまで口に出して隼人に伝えたことはない。もし言葉にしてしまえば今までのように隼人の隣にいられなくなりそうで怖い。 隼人の幼なじみのポジションさえも失ってしまいそうで……。 (でもたとえ隼人に告白しても隼人は私を選んではくれない。隼人にとって私はただの幼なじみでしかないの)  家に帰ってベッドに伏せていた麻衣子はノックの音で身体を起こした。返事をすると母親が部屋に入ってくる。 「隼人くんが忘れ物届けてくれたわよ」 「隼人が?」 母親から渡された物は教室に忘れてきた理科の宿題プリントだった。プリントには大きめの黄色のフセンが貼られていて、隼人の字が書いてある。 [宿題忘れんな。アホトロ]  アホトロの文字に麻衣子は頬を膨らませる。アホトロとは何だろう? アホでトロいの意味? 腹は立つが、やはり隼人に気づかれていた。そしてきっと彼は、どうして放課後な教室に麻衣子が戻ってきたか理由を考えたはず。 そして麻衣子の机から理科の宿題プリントを見つけて自宅に届けてくれた。 「後で隼人くんにお礼の電話しておきなさいね」 「……うん」  母親が部屋から去った後、麻衣子は隼人の字が書かれた黄色いフセンを丁寧に剥がして日記帳に貼り付けた。……アホトロは嬉しくはないが。  夕食後に宿題を片付けてから時計を見る。午後9時だ。 一階から子機を持って部屋に戻り、もう何度もかけていて暗記している隼人の家の電話番号を押す。 隼人の母親が電話に出て、隼人に繋げてもらう。 {アホトロ。宿題できたのか?} 開口一番がこれだ。 「アホトロは失礼ね!」 {宿題忘れていく奴、アホでトロい以外の何ものでもない} 電話越しだと余計に低く聞こえる隼人の声は紛れもなく男の人の声で、隼人だけが大人になったみたいに感じて寂しくなる。 「プリント届けてくれてありがと」 {別に。麻衣子が明日宿題提出できなくて俺のせいになるのも嫌だし。麻衣子のクラスの理科、明日の一限目だろ?} 隼人はどこまで計算してるのだろう? (昔から思っていたけど、隼人のこういう機転の効くところ凄いなぁ) 受話器を握る手に力がこもる。 「本当に助かった。明日早くに学校行って朝にやるつもりだったから……。おかげで宿題終わったよ」 {そ。次からは忘れんなよ、アホトロ} 「アホトロ言うな!」  麻衣子も隼人も放課後の教室の出来事は話題に出さなかった。 二人はその件には触れずに、いつものように会話をして、いつものように別れの挨拶をして電話を切った。
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